見出し画像

アイリッシュマンの感想(ネタバレあり)

イオンシネマ京都桂川で鑑賞。しかし上映期間1週間は短い、おのずと週末の最優先映画。
でもこの次の京都シネマのイスでは絶対身体が耐えられないのでやってくれるだけありがたい。感謝。

僕はあまりリテラシーが高くないので、当時のアメリカの情勢が完全に理解できている訳じゃないし、「これ今誰が何してるんだっけ?」と思う所も多かったのだけど、シーン単位の完成度が凄まじいので見てるうちに「あ、今この人が調子こいてるから懲らしめようって話をしているのか」とか最低限の雰囲気で理解出来てそれだけで楽しい。(マジで最低限過ぎるけど)

もちろんスコセッシ映画で70年代80年代に大活躍していた名優達の顔つきを観ているだけで至福の時間。

3時間半があっという間とは言わないけど、淡々としている様で確実に終わりが近づいていく感じこそ、この映画の登場人物達の人生を味わう上で重要なので、このボリュームは必要だった。

配役からも分かるけど明らかにゴッドファーザーを意識した作り。
どちらかというと父親的な位置にいるのがアル・パチーノだったり、最終的に取る選択のスタンスとかもゴッドファーザーと比較すると、より味わい深い。

主人公フランクの人生は戦争体験から始まり、そこから結局ずっと人殺しを繰り返す人生なのだけど、彼に対して分かりやすい落とし前みたいなものはなく長寿を全うしていく。
ただやはり人生の終わりにこれまでの生き方で取り返せない家族との絆や、取り返しのつかないトラウマから決して逃れられない感じが観ていて辛い。

上映時間3時間半のゆったりとした時間のなかで彼の人生が語られていくのだけど、淡々とした積み重ねの中でもう「そういう風にしか生きれない人」になっていく感じがとても味わい深い。
これは彼が人殺しだとか、そういう事は関係無く、その場その場で取った行動がどんだけ歳を取っても地続きで自分に返ってくる感じが誰にでも共感出来る「人生の不自由さ」をこちらに追体験させてくる様で観ていて辛い。

ジミー殺しを計画した時に「手を尽くした」と話していたラッセルからラスト付近で「やり過ぎたな、、、」と反省みたいな事を口に出した時にフランクの前で「それは思っても口に出すんじゃないよ」と、どーんと重い気持ちになった。
またこの辺からラストまでの名優達の本気の年寄り演技の物悲しさよ、あんなに覇気があった人達が小さなおじいちゃんにしか見えないんだから俳優って凄い。

娘は父親が暴力的な本性を持っている事を知っているし、人殺しなのも気付いている。
無意識に幼い時からそんな人を殺す事が出来る人間から距離を取っているのだけど、父親の周りで唯一そっち側じゃないジミーにだけ擬似的な父親として心を許している。

そんな彼女がフランクがジミーを殺した事に気付いてしまう所のスリリングさが辛かった。

MCUを否定していたスコセッシ。
個人的にはスコセッシがMCU大絶賛する方が気持ち悪いし、まあそうだろうなぁとかなり納得してた。

だけど今回のアイリッシュマンはスコセッシ版の「エンドゲーム」な作品になっているのが面白い。
これまでスコセッシ映画常連だった俳優で登場人物それぞれの人生の終わりを描き、エンドゲームでいうとキャプテンマーベル的な形でアル・パチーノが参戦!というのが熱い。

正しくない人の人生の絶頂期から人生の終わりまで描ききる構造自体がスコセッシ映画の要素の良い所取りって感じでそれだけで感動した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?