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これから⑳母と私

 母の四十九日が過ぎて、祭壇も片付け終わると母の部屋は一気にガランとなった。
クローゼットも片付けて、綺麗好きな母が文句言わないくらいには整えた。
もうどこにも母の姿はないと解っていても、母の部屋を覗く癖はそう簡単には取れない。
受け入れ難い現実をいつまでも直視できないでいるが、それでも時間は確かに過ぎて、母が逝った日が遠ざかっていく。
これを書いているのは2021年2月。母を見送って5ヶ月が過ぎた。
まだ夏の暑さが残っていたあの日から、夕暮れがだんだん早くなり、朝夕は羽織る物が必要になって、ストーブを出して暖を取るようになり、最近では昼間はもう上着が要らないくらい日差しが緩んできた。
母が迎えることのできなかった季節は、違わず順に廻っている。
私はと言えば、表向きには日常を取り戻したように見えていると思う。
仕事もしているし、滞っていることもなく、誰かや何かを困らせていることもない。
これまで母のためにあった時間を持て余してしまうけれど、それも仕事に充てればうっかり沼の底に沈まなくて済む。
そう。うっかり深い思考を巡らせると、底が見えない沼に沈んでしまう。
今はどうやっても、母に「ごめんね」と言う思いが先立ってしまうから仕方がない。
申し訳ないとか、もっと何かしてあげたかったとか、選ばなかった方の選択肢だったらどうだっただろうとか、そんなことを延々と問答している。

交わした約束をすべて置き去りにして母は旅立った。
結局、母と一緒にミシンをすることができなかった。
車椅子で散歩をすることもできなかった。
他にもいろいろ約束して、どれも守ることができなかった。
元気であれば明日にでも叶うような簡単な約束ばかりだが、母と私にとっては何よりも難しく、けれどどうにかして叶えたい約束だったから、出来なかったことを数えてみては、不甲斐なさを痛感している。

悔恨の念に溺れる最中『灰の重み』と言う言葉に出会った。
灰の重みを感じられるほど、幾度も幾度も線香を立てて故人を供養すると言うことらしい。
心にしっくりと収まる言葉だった。
教えられた言葉に習って、私はよく線香を立てる。
朝夕は勿論、出先から戻った時やうっかり沼に足を取られそうになった時。
日々日々、線香の灰は少しずつ重なっていく。
線香から静かに立ちのぼる糸のような香煙。
それが消えたその先に居る母に、糸電話のように私の言葉が伝わればいい。
姿が見えなくても、答えが返ってこなくても、それでもいいから、私の心がそのまま伝わればいい。

いつか、もっともっと先に続くいつの日か。
母のことを思い返して「楽しかったね」と言えるようになればいいと思う。
そう思えるように、私は日々を歩んで行こう。
母が居ない世界に慣れることはないけれど、時間は巻き戻らないし止まってもくれないのだから。
ヒリヒリと痛むような記憶が薄らいだとしても、この先私が母を忘れることはないのだから。
私の心から母が居なくなることは決してないのだから。
どうせだったら、元気だった頃の母をたくさん思い返して、幸福な時間を振り返ろう。

これからは何も選ばず、誰かに全てを委ねるのもいい。
しばらくはそんなふうに過ごすのも悪くない。


母と私に起きた出来事を忘れたくなくて、こうしてnoteに綴り始めた。
もともと文章を書くのは苦手で、仕事で書かなければならない論文や報告書の類も煩わしいと思うほど不得手だ。
そんな私がこうして目的を果たせたのは、投稿の度にあなたが目を通してくださったからだと思っている。
生活に役立つ豆知識でもなければ、面白い話でもなく、書きなぐりの読みにくい駄文。
地方の田舎に暮らしている親子の出来事を、ただなぞるだけの書き物に目を留めてくださった。
そのことに、何より心から感謝を申し上げたい。

こうして綴ることで、私は誰かに話したかったのだと思う。
心の内を誰かに聞いて欲しかったのだと思う。
抱えきれなくなっていた思いを吐露することで、自己の救済を願っていたのだと思う。
あなたが聞いてくれて、知ってくれて、そのおかげで私は本当に救われた。
この謝意がどうにかあなたに伝わって、届いて欲しいと願わずにはいられない。


そしてこれから、あなたとどんな話をしようか考えてみる。
思い出話もしてみていいだろうか。
独り言をつぶやいたり、猫の様子をお知らせしたり、時々は仕事のことを話してみたり。
そんな話でもいいだろうか。生活の知恵袋のほうが好みだろうか。
そして、私にもあなたの話を聞かせて欲しいと、取り留めもなく、そんなことを考えている。

母と私の話はこれでおしまい。
noteを始めなければ出会う事のなかったあなたとの縁が、途切れることなくつながりますように。

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