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母が遺した着物⑯母と私

 南の地方の田舎に住んでいる。
本当に田舎で何もないそこに、祖父母と母の4人暮らしで私は育った。
母は私を産んですぐに離婚したので、私は父の顔を知らない。
何度か写真を見せられたが、子供過ぎて記憶に遠い。
しっかり物心がついても、もう一度写真見せてとねだりもせず、父親に会いたいと家出をすることもなかった。

 「あなたは周りよりも持っているものが少ないから」と小学4年の担任に言われたことがある。
父親も兄妹もいない、私のような家族構成の生徒は学校内には他にいなかったから、その通りだ。
高校の頃にも友人に「お父さん居ないのに良くグレなかったね」と言われたことがある。
そんな事でグレるものなんだろうかと、当時わりと真剣に考えた。
この二つの記憶は、今でも時折セットで思い出す。

国語の授業で書く父の日の作文が毎年、祖父宛になっていることを同級生に「なんで?」と問われるのが面倒なくらいで、取り立てて困ることも寂しいと思うこともなかった。
祖父母と母のおかげで、グレもせず今に至る。

その祖父母もすでに他界し、今度は母が逝った。
私の『持ち物』が、ひとつ残らずなくなったことになる。


9月9日。
遺族に悲しむ時間を持たせないためにそうなっているのか、葬儀の準備はやたらとやることが多い。
葬祭場の都合で、母の葬儀は12日になり通常よりも2日長く母と過ごせる。
母と私は親戚縁者も少ないので、家族葬の一番少人数タイプをお願いしようかと思っていたが、
「今まで何も贅沢しなかったんだから、最期くらいは盛大に、たくさんの人に見送ってもらおう」と、夫からの助言で盛大に見送ることにした。
昨日からずっと夢の中を浮遊しているような現実味のない感覚に付きまとわれていて、どこか他人事のような気持ちでいたが、母に何かしてあげられるのはこの葬儀が最期なんだな、と少し目が覚めた。

母の部屋に行く。
布団に寝かされた母は、ぐっすり眠っているように見えて困る。
「大きな祭壇にしたよ。ピンク色のお花を頼んだからね」

言葉を交わせなくなった。もう口喧嘩もできない。
ラタンの椅子に座ってテレビを見ることも、一緒に食事をすることもない。
手を引いて歩くことも、もうない。
家に帰りたいと言う、母の一番の願いを叶えることができなかった。
もっと早くいろんなことを手配できていたら状況は変わっただろうか。

いや多分、違う。
いつであっても「そんなに急に逝かなくても」と思うだろう。
ずっと居て欲しいのだから、どうせ「足りない」と言うだろう。
あれこれ思うのは結局私の問題で、つかない折り合いに問答しながら向き合うしかない。
母はもう、目一杯生きた。

この日も母の横で眠る。母に添い寝をするのは子供の頃以来だ。
私は親離れも、自立も早いほうだったと思う。
もう少し甘えておけばよかったな。


10日。翌日。
何度も目が覚める。
どうせ上手く眠れないのだからと、早めに起きだす。

今日は湯灌をお願いしていた。
コロナ禍でなければ一緒に手伝えるらしいが、部屋の隅に座って、その様子を見守る。
白いブラウスに薄いサーモンピンクのカーディガン。ベージュのスカートと小花柄の靴下。
最期の着替えに、いつも母が着ていた服を選んだせいで目を覚まして起きてきそうな錯覚に見舞われる。
湯灌が終わると、きれいに化粧をしてもらい母は棺に納められた。
随分前に母とお揃いで買った小さなクマのぬいぐるみを母の顔もとに置く。

もう添い寝もできないな。
母がどんどん遠くなる。どんどん手が届かなくなる。

 この日の夜は仮通夜だった。夫側の親戚が母に会いに来てくれた。
母が闘病していたことを知らない人もいる。
「看取れてよかったね」
「急だったね。お母さん、元気だったのにね」
「みんな通る道だから」
労りと励ましの言葉をかけられたけれど、どれも耳には残らない。
本来なら有難い言葉だが、この時ばかりは全て薄っぺらくて、聞こえる声はとにかく耳障りだった。
だからと言って、誰かにぞんざいな態度を取った訳ではない。見当違いにやさぐれた心がざわつくが、そうでもないと立っていることもままならない。
そんな私だったから、この日の無礼な思いは許してもらいたい。

喪服に必要な小物を、義母たちが下準備してくれると言うのでお願いした。
母と一緒に着物の整理をした日の事を、あっという間に思い出す。
母が楽しそうに仕舞ったカラフルな紐を、数人の親戚がワイワイ言いながら眺めている。

その声を聞きながら、どうしてだろうか。
なんで私はひとりなんだろうと、急にとんでもなく孤独になった。
心細くて泣きそうなのを必死に堪える。

必要なものを揃えてくれていた親戚のひとりが、私のところにくる。
「これ、見てごらん」
見せられたのは着物の襟先部分。
内側に私の名前と出雲大社のお守りが縫い付けてあった。
「今時こんなのなかなか見ないよ。いい着物だから大事にね」

母との思い出が、次々あふれて頭を巡っていく。

自分はひとつも高価なものなんか持ってなかったくせに。
女手ひとつで私を育てて、大変だったくせに。
着物整理したあの時には何も言わなかったくせに。

もう、ありがとうも言えない。ごめんねも届かない。
堪えきれずに大泣きする。みっともないほど泣いた。
容赦のない現実を思い知る。


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