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どうせ歩くなら西国街道 03 【兵庫〜三宮】

  西国街道を(ちょっとづつ)59歳女が歩いた記録です。


三宮に行くのでついでに街道歩き。
京都から新快速に乗っていったん兵庫まで行き
そこから三宮まで歩いて戻ります。
かつての兵庫津をたどるルート。出発!

兵庫駅北口を出るとそこが西国街道。

西国街道
(神戸市兵庫区羽坂通)

この先の交差点で右折し
柳原惣門を通って兵庫津エリアへ。

西国街道 柳原惣門跡
(神戸市兵庫区西柳原町)

 惣門の表側に鎮座する蛭子神社。

柳原蛭子神社
(神戸市兵庫区西柳原町)

こちらには兵庫津ウォーキングマップが置いてあって
それが大変わかりやすかったので助かりました。
ありがとうございました。
お越しの際にはぜひお持ちください。(無料です)

さて、このまま南東(海方面)へまっすぐ進みます。
阪神高速にぶつかりますがひるまずまっすぐ・・

阪神高速3号神戸線 門口町交差点
(神戸市兵庫区門口町)

ってなわけにはいかないので
ちゃんと迂回して横断歩道を渡りましょう。

西国街道はこの先の札場の辻で再び直角に曲がり
V字を描きながら兵庫津エリアを通過します。
何が何やら?ですね。図にしてみました。
ものすごくアバウトですね。

兵庫津 札場の辻
(神戸市兵庫区本町)

その札場の辻までやって来ました。
街道Walkerには毎度おなじみ札場の辻(札の辻・高札場とも)。
お上からの伝達事項が書かれた高札が掲げられた場所です。

埋まっている石標には「右 和田」「左 築」の文字
「和田」は大輪田泊の「輪田」かな。
「築」は平清盛が対岸に作った巨大な人工島「築島」かな。
築島といえば悲しい伝説がありまして・・

築島埋立の土砂が何度も潮に流され工事は難を極める。
海の神の怒りを鎮めるため
清盛は三十名を人柱にするため集めさせたが
それを見るに見かねた清盛の側仕えの松王丸(17歳)が
自分を身代わりにしてくれと嘆願し人柱として海に沈んだ。 
人々はその供養として経石を海に投げ込んだ。
完成した島はお経を広げたような扇形だったので「経が島」と呼ばれた。

兵庫県立歴史資料館WEBサイトから抜粋

清盛なんちゅうヤツや! 松王丸かわいそう!
ですが、これはあくまで後世に作られた伝説で
実際は人柱を入れることは罪深いと考えた清盛が
代わりに一切経を書いた石を海に沈めたことから
築島は「経の嶋」とも名付けられたそうです。
(by 「平家物語」)
よかったよかった。

すぐ近くの来迎寺(別名築島寺)には
松王丸の供養塔があります。

そしてこの先が大輪田泊。

このあたりは六甲山が海に迫っているので
水深が深く風も妨げられることから
天然の良港でした。
奈良時代には行基が摂播五泊の一つ
「大輪田泊」を開きます。

 ちなみにほかの四泊
    室生泊(たつの市)・韓泊(姫路市)
    魚住泊(明石市)・河尻泊 (尼崎市)
   
すべて兵庫県下。この地がいかに海運で栄えたかよくわかります。
そして大仏も橋も港も何でも作る行基。もはや歩くゼネコン僧。

平安末期には清盛により大規模な修築が行われ
日宋貿易の中心地として平家繁栄の基礎を作ったのは周知のとおり。
その後も兵庫湊、神戸港と名を変えながら発展し続けました。
そんなすごい大輪田泊を一度見てみたい。てなわけで
行ってみました。

古代大輪田泊の石椋
(神戸市兵庫区本町)

昭和27年に運河の底から発見された巨石のモニュメント。
昔はこのような巨石を3~4段に積上げ
それを松杭で補強して堤を作ったそうで
大輪田泊の石材であった可能性が高いそう。 

埋立が繰り返されたため往時の地形は残っていません。
運河が昔日の面影を伝えるのみ。

さて、札ノ辻からV字形に北へと進路を変えて進みます。
じきに見えてくるのが岡方惣会所跡。
兵庫津にあった岡方・北浜・南浜という三つの惣(自治組織)のうち
岡方の社交場として昭和2年に建てられた建物です。

当時欧米で流行したアールデコと古典様式を取り入れた
ハイカラな建物ですが、この会所の何がすごいっていうと
昭和20年の大空襲や阪神淡路大震災を乗り越えたこと。
みるからに頑丈そうですもんね。でもそれだけじゃない。
とてつもなく強運。拝みたくなる。

岡方惣会所跡
(神戸市兵庫区本町)


このあたり、マンションや小さな工場やお寺が点在して
旧街道というより昭和チックな街並み。

神戸市兵庫区本町あたり

前方に阪神高速3号再び!

阪神高速3号神戸線 西宮内町交差点
(神戸市兵庫区本町)

ここも迂回して横断歩道を渡り
何気に興味をそそられてしまう
DVD金太郎の横の斜めの道を入ります。
(「超進化型VR」の看板の右ね。)

 どうでもいいけど超進化型VRってどんなんだろ。
 気になるわ。

すぐに湊口惣門に到着。

湊口惣門跡
(神戸市兵庫区兵庫町)

兵庫津とはここでお別れ。
となりには湊八幡神社が鎮座。

湊八幡神社・迷子のしるべ
(神戸市兵庫区兵庫町)

こじんまりとした静かな境内には
「迷子のしるべ建て石」がありました。
迷子になった子の特徴を紙に書いて石標に張り付け
道行く人に呼び掛けたそう。

この石標を眺めてたら
大阪万博(前回)に行ったとき迷子になって(当時5歳)
発見時に母にこっぴどく叱られたことを思い出した。
その時の母の怒りに満ちた般若のような顔が
今もトラウマなのだが
自分も親になって同じ場面に遭遇したら
やっぱり般若になったので
今も昔も迷子は親にとって
心えぐられる重大事件に変わりないのでした。

ちなみに大阪万博(今回)って
どうなるんでしょね。(他人事)
東京五輪(今回)と同じ匂いが
プンプンしますが・・。

さて、目の前にはJRの高架。
道路は三叉路になっていておまけに分離帯みたいなのもあって
横断しにくいけどがんばって進む。

高架をくぐって前方左手のマンション(レジデンス神戸レガーロ)と
右手のトランクルーム(の 看板)の間の
斜めの道を入る。

西国街道入口
(神戸市兵庫区湊川町)

このあたりの町名は「湊川」。
楠木正成が足利尊氏に敗れて自刃した「湊川の戦い」で有名ですが
その湊川はもともとこのあたりを流れていました。
しかし天井川だったので洪水の危険性が高く
明治34年に付け替えられます。(現在は長田区を流れています。)

旧湊川を埋め立てた跡地には芝居小屋や活動写真屋が立ち並び
新しく開かれた土地(新開地)は、東の浅草と並び称されるほどの
一大歓楽街となりました。
その新開地商店街の西の端を西国街道は通ります。

入口には巨大なシンボルゲート。その名もBIGMAN
こっちの方がおもしろそうなんですけど。

淀川長治さんは言った。
「新開地は神戸文化の噴水」だと。

新開地商店街 西口
(神戸市兵庫区新開地)


西国街道の碑
(神戸市兵庫区新開地)

西国街道をまっすぐ進むと
正面にJR神戸駅北口バス乗り場が見えて来て

JR神戸駅 北口
(神戸市中央区相生町)

ここまであっという間だった。
新開地は今度来た時にゆっくり探索することにしよう。

せっかくなので湊川神社によりみち

湊川神社
(神戸市中央区多門通)

湊川神社訪問記はまた別の機会に。

JR神戸駅から元町方面へ歩いていると
高架のそばにXmas っぽいデゴイチくんがいた。
旧国鉄の蒸気機関車「D51型1072」。
北海道で走っていた国鉄最後の蒸気機関車を
神戸市が無償で借りたもの。

旧国鉄蒸気機関車「D51型1072」
(神戸市中央区相生町)

碑文に泣かされる😂
君を忘れないよ。

東海道本線の終点である神戸の地で
こうしてみんなにかわいがられていて
さぞやデゴイチくんもうれしかろう。
それにしても蒸気機関車って
なぜにこう人肌っていうものを感じさせるんだろう。

元町商店街の入口が見えてきて
何だか急に神戸っぽくなってきた。わくわく。

元町通商店街
(神戸市中央区元町通6丁目)

アーケードの向かい西元町きらら公園の中にある
兵庫縣里程元標。

兵庫縣里程元標
(神戸市中央区相生町)

近郊の県までの距離が示されています。
キロメートルは「粁」って書くのを初めて知りました。
還暦前だというのにどんだけ無知なのか。

ここまで来れば目指すゴール三宮までは目と鼻の先。
余裕こいて元町商店街で物見遊山三昧にはしる。

とある陶器店にふらりと入ったところ
その品揃えの良さに圧倒され
つい時間を忘れて見入ってしまい
あげくお正月のお雑煮用のお椀を買ってしまい
お茶までご馳走になりました。
ありがとうございました。

陶器サノヤ
(神戸市中央区元町通6丁目)

走水神社にも寄り道。

走水神社
(神戸市中央区元町通5丁目)

こちらもまた別の機会に。

元町商店街の東口には大丸神戸店西口。
そして前の通りが西国街道。
場所によって街道は表情を変える。

元町 大丸神戸店
(神戸市中央区明石町)

大丸でトイレをお借りし東玄関から出たら
そこが三宮神社の正面。
(写真をとるのを忘れた)
めでたく本日のゴールに到達しました。

おまけ。

Merry Xmas  神戸 !🤶








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