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子どもの頃に持っていた特性について

 ギフテッドチャイルドの生きづらさについて、昨日から考え始めたわけですが、自分がそうだったかどうかはともかく、幸せな幼少期ではなかったことは間違いがないので、今日までの日々を振り返り、幼少期にこういう特性を持っていた、とか、こういうことが嫌だった、ということを思い出して書いてみます。今、学校や集団生活が合わないと感じている人、周囲にそういう人がいる人に読んでもらえたら幸いです。

☆最初に書いておきますが、多分この手の特性を持っている子は実はそれなりにたくさんいます。でも「小学校のクラス」というレベルでは一人いるかいないかなので、初めての集団生活で「周りと違う!」と思ってしまって辛い、という人が多いのではないでしょうか。自分が少数派では?と思っている人たちに「いやいやそうでもない」「孤独を感じる必要はない」「ちゃんと大人になってうまくやっていける」ととらえてもらえたらと思います。

1)本のページを覚える。
 ページごと、写真として頭の中にある感じ。そこを読み上げると「文章を覚えてる!」と思われる。漫画も、何巻にどの話がある、というのを覚えてしまう。
→中学時代、英語は教科書を丸暗記していた。高校に入り、丸暗記しきれない量の英文を読むようになると、勉強法がわからなくなって困った。
→普通に文法の問題集を解き、単語を覚え、という淡々とした努力をするようになった。☆この時、勉強法を模索するのに時間がかかったので、誰かが「こんな方法あるけど」と言ってくれていたら楽だった。

2)一度話を聞いたら内容はわかる。
授業中ヒマなので、ジャポニカ学習帳にジャイアンツの選手の背番号表を書いたり、教科書に落書きしたりして遊んでいた。バレずにしていたので、幸いにも叱られなかった。
→中学までは授業の内容がわからない、ということはなかった。しかし、高校からはさすがにそうも行かなくなる。
→ちゃんと問題集を解き、勉強するようになる。しかしわからないことを聞ける人が周囲におらずに困った。
☆基礎学力は必要。復習よりも予習をするとよい。親が「復習が大事!」というタイプだと伸ばしきれない。高校に入ってから、友だちと「中学の時にもっと進んでおきたかったよね」「中学無駄が多いよね」と話していた。効率的な学習プログラム、というのはこの時から何となく頭にあった。

3)2歳後半くらいからの記憶がある。
何でもかんでも覚えているわけではないが、印象に残ったこと、いやな目にあったことは覚えている。
→よって、言われたら嫌なこと、されたら嫌なことは人にはしなかった。嫌なことを平気で言う人がいる、ということが信じられずに悩む。
→そういう人には神様がバチを当ててくれるからいいや、と思う。☆謎の倫理観を持っていた。
→バチを当てるかどうかはわからないけど、そういう人もいるんやな、と折り合いをつける。☆ここに時間がかかった。

4)超スーパーウルトラ引っ込み思案。
黙っていろと言われればいつまでも黙って本を読んでいるタイプ。
→ヤマハ音楽教室でみんなの前で歌わされて、小さーい声で歌ったら先生が伴奏を小さーくしたのでどうしようかと思う(6歳)。
→積極的になれ!みたいなことを懇談で言われるが、「ほっとけや」と思っていた。
→小学校2年の終わりに放課後の教室で先生や同級生数名と残って遊んだことで、引っ込み思案なところはある程度解ける。
→クラスを引っ張って!などと言われるが「知らんがな」と思っていた。☆成績がいいからと言って何でもかんでもさせないでください。向き不向きというものがあります。
→6年生の時に児童会の役員をして、朝礼台の上で「児童会の歌」を歌うことになるが、他の子もいたので意外にもこういうことは平気。☆引っ込み思案と恥知らずが同居する、という厄介な性格。→おとなしいキャラは払拭されるが、今でも決して陽キャではない。
→初めて家庭教師をしたときはドキドキ(大学生)。
→教育実習なんて死にそう(大学4年生)。
→塾で教えるなんて死にそう(大学院生)。
→留学するときもドキドキで死にそう。☆そのくせちゃんとフランス人の友だちを作って家にも招いてもらって、幸せに過ごす。
→非常勤でフランス語を教えるときも緊張で死にそう(大学院生)。
→授業のたびに緊張(わりと最近まで)。
☆今から思えば、言語化する能力はあったので、「どう思っているのか?」と穏やかに聞いてもらえれば普通に話したと思う。しかしそんな気長な人は昭和の家庭や学校にはいなかった。
☆明るい性格の人は、黙っている人のことを「中身のない人」と思うかもしれないのですが、それは違います。「本好きのおとなしい子で、頭の中までおとなしい子に会ったことがない」というツイートがかつてありましたが、まさにこれです。頭の中にはその子のワールドが広がっているのです。

5)口下手なので文章で伝える。
これは今でもそう。文章では自分の気持ちをすみずみまで伝えられる自信がある。
→電話で押しまくられるのは大嫌い。同じ時間を割くなら文字のほうが情報量多いやろ、などと思う。
☆口が立たないので咄嗟に考えを言葉にできず、ふすまを「パーン」と閉めて「物に当たるな!」と叱られる、などということがよくありました。口が回る親と、口が回らない子の組み合わせは時に悲劇です。

6)できること(体育以外)とできないこと(体育)の差が激しい。
できることを褒められなかったので、できるのだ、という自覚がなかった。描いた絵を「下手くそ!」と言われた経験から、下手なのだと思っていた。☆絵心のないお母さんは、子どもの絵に口出ししないでください。そもそも評価しないでください。
→小学校の朝礼でいきなり名前を呼ばれ、わけのわからないうちに紙をもらって持って帰ったらそれが絵の賞状だったので、「絵は得意ということか」と知る。
→体育について、やればできるはず!と言われるが「でけへんもんはでけへんのじゃ」と思っていた。
☆「体育ができない」に全焦点を当てられていたので、自信のない子どもだった。今から思えばバカバカしい。

あの頃の自分はどういうふうに接してもらえたら穏やかに過ごせたか?
・ああしろこうしろと言わないでください。
・自分の思い通りにならないからと言ってブチギレないでください。(陽キャの親と陰キャの子の組み合わせが生みがちな悲劇。)☆注:隠キャは陰気とは違います。
・(見る目もないくせに)下手くそとか評価しないでください。そんな時は黙っていてください。いつまでも覚えています。(見る目のある人は)「この線ステキ」「この色いいね」などと言ってくれると励みになります。
・「この子はこうだから」と足りない部分を声高に言わないでください(自分で知ってます。そして全部聞いています)。むしろ、その子の気づいていないいいところを伝えてあげてください。それが見つけられないなら黙っていてください。

という感じでしょうか。
 まあ、生きづらさ満載の子ども時代でしたが、高校からは自分に似たタイプが集まる環境に身を置き、突出していたはずの部分も周囲に埋もれつつ(!)、その中で辛うじて残った得意なことを伸ばし、それを職業にできたので、今はちゃんと幸せです。その代わり、「OL向いてないわ!」とか、余計なこともあれこれ言われました。OLが幸福の象徴ではないので、こういう意見は無視です。

 こういう子ども時代を過ごした中で磨かれた感覚として、
・静かな子の中に埋もれた力、のようなものはわりとわかる。
・成績からすると苦手科目に見えるし、本人もそう思っているけれど違う、というのはわりとわかる。
ということがあります。しかしこれはまだまだ弱ーい感性なので、今後、ここを磨いていきたいと思います。
☆よって、「あんたこれ苦手やなー」と軽々しく言わないでください。本当は違うのに、子どもによってはそれが入り込んでそうなってしまいます。





 


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