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『恐るべき子供たち』を読む

 コクトーの『恐るべき子供たち』を今さら読んだ。読まねば読まねば、と思いながら、ずーっと放っておいたのだった。

 あらすじというほど筋で読ませる小説ではないのだが、ざっというならこんな感じだ。

 14歳のポールは、中学校で雪合戦をしているときに、密かに愛しているダルジュロスが投げた雪の球によって胸を直撃されて倒れ、しばらく安静を命じられる。ポールを送ってきたジェラール(ポールを愛している)は、病気の母親の面倒を見ているエリザベートから「私が看病している間にこの子は雪合戦」などと言われるのだが、この姉弟の家に興味を持ち、足繁く通ってくる。ポールとエリザベートは、家の中に「子供部屋」という名の無秩序の楽園を作り上げていたのだ。その後二人の母親は亡くなり、ジェラールはお金持ちの叔父さんにせがんで二人を海辺に連れて行ってもらってしばらくホテル住まいをする。そこでも二人はホテルを「無秩序の楽園」にしてしまう。帰宅後も「子供部屋」は楽園であり続け、3年が経過する。エリザベートは意味もなく働こうと決意し、モデルになろうと考え、そこでアガートという娘に会う。やがて、ポールを愛していたジェラールはエリザベートを、エリザベートに惹かれたアガーとはポールを気にかけるようになる。こうして4人の楽園は続くが、ある日、ジェラールがダルジュロスに再会した、と告げる。ダルジュロスは毒の玉と称して黒い玉をジェラールに渡し、ポールにやってくれ、という。ポールはアガートに思いを告げる手紙を書くが、それはポールに届かず、確認しに行ったエリザベートはポールが宛名を自分自身の名前にしていたことに気づく。ほどなく、アガートからの返事を気に病んでポールは毒の玉を口にする。駆けつけたアガートにポールは説明し、結局その返事はエリザベートが嫉妬ゆえに書き換えたものだということがわかる。結局ポールは亡くなり、それを見たエリザベートはピストルでこめかみを撃ち抜いて後を追う。

 読み終わった時は、これは映像向きでは?と思った。展開がかなりはちゃめちゃだし、子供部屋は映像でしか描けないのではないかという気がしたからだ。実際にこの作品は映画化されているし、そこにはコクトーも声で参加している。しかし、冒頭の白い雪の球が終わりには黒い毒の球になること、途中でダルジュロスの写真が大きな役割を果たすことなどを考えると、小説として構造分析を楽しむのもいいかもしれないし、描写を散文詩として読むのもいいだろう。

 そしてこの本のもう一つ素敵なところは、コクトーのデッサンが挿絵として入っていることだ。私はコクトーの絵が持つ線の美しさが大好きなのだが、この挿絵ではそれがかなり楽しめる。この天才は、デッサンを「図形による詩」、小説を「小説による詩」、批評を「評論による詩」と呼んでいた。つまりコクトーの本分はあくまでも詩にある、ということになるのだろうが、そんなことを言いながらサティーやストラヴィンスキーやピカソと交流し、シャネルやディオールとも友だちで、カルティエの三連リングを作らせた、というエピソードを読むと、ほとばしる才能というのはどの方面にも発揮されるもの、としみじみしてしまう。


 


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