親ガチャ子ガチャ等等

はいどうも、国ガチャには成功していると思いたいエンジョイジャーナルです。
最近あらゆる事に対してガチャという言葉が出回りつつありますが、今回はそれはなんなのかというのを独断と偏見で書いていきます。

1親になるにはこれから多大な責任を求められる
2社会は人の手に余るもの
3人は遺伝子には逆らえない

1親になるにはこれから多大な責任を求められる

冒頭でも親ガチャとか子ガチャとか色んな事柄をガチャという言葉に変換するというものがありますが、その言葉をざっくり説明しますと・・・

親ガチャ・・・親の社会的立場や経済的事情または背景を皮肉る言葉わかりやすく言うと子は親を選べないの令和版。

子ガチャ・・・こちらは子供に対して使われる言葉
親の育て方等それらの背景を皮肉る言葉
親が子ガチャに失敗したなんて言葉を言うのは貴方なんか産むんじゃなかったと同じ位の暴言とも言える。

他にも国ガチャ、地域ガチャ、隣人ガチャ等色々あるのですが、ここの欄は上記の言葉を中心に語ります。

つまり、どういう事かと言うとこれは努力とか才能とかそういうものを超越して単純に運だけが左右するものになるという事でこれから超無理ゲー社会になっていくという事。

そしてこれからこれは余計な一言だけど結婚していく人や子供を作ろうとする人は大いなる責任がのしかかるのでそこは覚悟した方が良いと思う訳です。
そもそも論親ガチャを批判している人はかなりの有名人や芸能人ですし、これらを一まとめに反論するとそういった環境に身における人の傲慢でしかない。

更には半出生主義者の言葉がまた1つ正しい事が証明されてしまったという事実もあるのでそれを反論するにはかなりの材料が必要になってしまったという様な事が言えますね。

言っておきますが半出生主義には理解していますが半出生主義者という訳ではありません。
この言葉を開発した人はかなりの残忍な発想の持ち主とも言えるし、また社会を憎むというかそのような物が浮かんできます。

2社会は人の手に余るもの

またこのような言葉を見る度に最近読破した本「無理ゲー社会」から当てはめると能力主義社会から運が全て左右するというおおよそもうそれ本末転倒では?と感じる訳です。

何故なら運も実力のうちではなく、運が実力の全てとも言える訳です。
そして、これらを見ていくと感じる事は人が社会を形成していくのはほぼ不可能ではと発想に至りました。
能力主義社会にしても能力を伸ばすのは努力と環境を必要とします。
しかし、努力を伸ばすのは本人の才能であると同時に環境を整える必要がある訳であり、そこには運が大きく左右するという人にはおおよそ困難な課題が立ちはだかります。
人は環境に左右される存在である以上、運に立ち向かうにはそれだけの精神等を必要とする上、大多数はそんな強さを持ち合わせていないでしょう。
これは努力とか才能を超越した物であり、そんな歪な人らが社会を形成するのだから、そりゃ歪な物になるよって話なんです。

社会性を営む動物は数あれど、これ程まで歪んで、ややこしく幼稚な社会を形成するのは人間だけかもしれないと言えるでしょう。


3人は遺伝子に逆らえない

人は遺伝子に逆らえないとの事ですが、最近の研究では人に自由意志はないのではないかという事が明らかになっています。

人は完全な自由になる事は出来ません何故なら人は自由になろうとしてその自由を求めるという鎖に自ら嵌りに行ってしまうからです。
同様に遺伝子にも逆らう事は出来ません。

それは醜いアヒルの子を見ると火を見ると明らかで
もともとアヒルの子は白鳥の子供であり、親の遺伝には子供は逆らえないというなんとも身も蓋もない話なんですが、これだけ聞くと人は完全な自由を手に出来ないどころか逆に自由を求めて中途半端になるというこれって冷静になると詰んでない?という感想になります。

親ガチャからなんか壮大に話が飛んでいきましたが
話を戻すと、親ガチャ子ガチャなんてものを取りだされるとそれは身も蓋もない話になる上、更に社会の分断化だけでなく人の分断化も起こるのではと
警鐘を鳴らすというより書いておきます。
え?もう起きてる?それは・・・夢も希望もなくなった世の中になりましたね・・・

今回はこれまでにします。
ありがとうございました