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ここまでのサッカー人生(後編)#3

前編を読んでくださりありがとうございます。意外と多くの人が読んでくれていて嬉しいです。
今回は後編で内容がかなり濃くなると思います。過去に思っていたこと、今の状況に対して思うことを中心に書こうと思っています。是非最後まで読んで見いて下さい。


〜高校生〜

高校選択をする時に重要視したのが、選手権に出ること、人間として成長をする事この2つができる環境の高校に進もうと思っていました。そこで中学のチームと関係が有った四中工に進むことにしました。まずこの選択をすることができたのは、両親の協力と理解が無くてはこの選択はできていないのでとても感謝しています。

しかし四中工に進むことを決めた矢先に、2016年10月に1回目の脛骨腓骨を骨折をしました。折れた時の痛みはここまでの人生で1番の痛みでしたww
全治は1年から1年半と言われこの時点で、高校の最初はリハビリになる事が決まりました。
この時は落ち込む事もなく3年間の中で結果を残そうと思いで、リハビリをしていました。


しかし高校生活が始まると、周りは上を目指してアピールをしていたり、親元を離れて来たのに自分は何をしているんだと思いがあったり、中々復帰が出来なく周りと差が出来てしまっていて焦りがかなりあって、何度も怪我が無かったらと思いました、でもこの時でも家族の支えが大きくこの怪我を乗り越えることが出来ました。自分がプレー出来なくても行事があれば、千葉県から三重県まで来てくれて、あの時は家族と会うとまた頑張らなきゃいけない気持ちに何度もなりました。

多くの人のサポートがあり長いリハビリを乗り越えて2017年の10月についに練習復帰が出来て、11月には試合に出る事ができました。1年間の長いリハビリでしたが、1年ぶりのサッカーは言葉には表せる事ができないくらい楽しかったです。そしてやっとスタートラインに立つ事ができたという気持ちにもなりました。


いざ復帰出来ても1年のブランクはかなり大きく、中々前のように体が動かなかったり、他の部分に痛みが出てきたり、アイシングなどのケアーをしても3年間通して痛みがなくプレーができなくってかなり苦しさを感じながらプレーをしてました。


肝心なサッカーは、3年生までは一切トップチームに絡むことは出来ず、3年生になって夏までは、トップチームに入っていましたが、トップチームでの公式戦に出た時間は40分ぐらいで、夏の終わりにBチームに落ちてしまい、そのまま引退をしてしまいました。完全に不完全燃焼でした。


高校を選択をする時にイメージしていた高校サッカーを描くことはできなっかですが、ここでも3年間切磋琢磨してきた仲間に出会えたし、高校3年間で確実に人間として大きく成長できたと思っています。本当にこの経験ができたのは家族の支えがあっての事だと思います。感謝しても仕切れないです。


高校3年間で1番嬉しかった事が2つありこれは今後先越えることは無いと思っている事で、高校3年間お母さんは、自分の為に手料理のおかずを冷凍して送ってくれていました。やっぱりお母さんの手料理は1番でどんなおかず送られてくるか楽しみでした。次は高校最後の引退試合お父さんと弟が来る事は知っていて、お母さんは仕事があり来る事ができないと連絡があったんですが、当時には仕事を調整して来てくれて、この時いる事が知らなかったの会った時はかなり気持ちが高ぶりました。改めて結果で恩返しができなっか事が悔しいまま高校サッカーは幕を閉じました。


〜高校卒業後〜

高校卒業後は怪我もあってリハビリに対して興味が少しあって理学療法士の専門学校に入りました。この時は色々な知識を知れて楽しい感覚がある中で、やはりまだサッカーで上を目指したい気持ちもありそんな中で新型コロナウイルの影響で授業がオンラインに変わり1日の中でボールを蹴る事が増えてきて徐々にサッカーに対しての気持ちが大きくなて来ていました。


理由としては、高校サッカーが終わり今までの練習量より体に対しての疲労感が少くなり、高校よりも体が思うように動くようになった事が大きな理由です。まだやれる感覚が徐々に増えて来ました、それと学校と平行に社会人サッカーをやっていてそこで悠一さんと出会いドイツに留学できるよと言う話をしていて、最初はあまり何とも思っていなかったですが色んな思いが重なり、やはり小さい頃からの夢を叶える事ができるチャンスがある事が分かり気持ちはサッカーに向かって行きました。


その時は学校にも通っていましたが、すぐに何か対応してドイツ行こうともいました。両親にもその時のその気持ちを思うままに通たえましたが、予想通り最初は反対されましたが、何度も説得してドイツに行くことができるようになりました。そして2021年の夏にドイツに行きました。
(ドイツに行くまでに沢山の人に相談をして、色んな意見を聞く事ができて、そんな関係性がができて良かったと思っていて、その当時も今も変わらず本当に感謝していています!)


〜今現在〜

ドイツでの生活は毎日が充実していて、いい環境に身を置けていましたし、色んな経験と出会いをする事ができました。少しずつ環境にも慣れてきた中での怪我だったので、怪我をした時は何故今なのかとか先が見えなくなってかなり気持ち的にも落ちる所まで落ちていました。そなんな時でも地元の先輩や家族はプラスの声を掛けてくれて、少しずつ前に向けるようにもなって、先の事を考えた時に日本で治療をする事が1番いいと思い日本に戻って治療をする事を選びました。


現状中々予定とは思うように進めていなくてかなり焦っています。そこで8月16日に膝の近くにあるボルトを抜く手術をすることにしました。実際の所そのボルトを抜く事で今の痛みが100%無くなるかは分からない状況なので、この選択が正しいかは不安もありますが、今の現状を変えるには行動を起こさなくっていけないと思いこの決断をしました。


今後どこでどんな目的を持ってサッカーをするかはまだはっきりは決まっていません。今は先を見過ぎないで、リハビリに集中してまたピッチに戻る目安が見えてから色々と決めようと思います。
今回の怪我で医師からは今まで足の状態に戻ることはかなり難しいとも言われました。
(2回も同じ所を骨折をしていて右足にメスを入れるのが次で4回目だからみたいです。)
それでもそれがサッカーを辞める理由にはならないので、今はリハビリを頑張って必ずまたピッチに戻ります。


今回も最後まで読んでくださりありがとうございます。今回はかなり長い分になってしまいましたが、それだけ大事な時期だったと改めて感じました。
次回は、僕が尊敬している人についてと手術が終わっているので、そのことを書こうと思います。是非次回も読んでください。


『和而不同』


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