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ここまでのサッカー人生(前編)#2

お久しぶりです。まず#1を読んでくださりありがとうございました。今回は、タイトルにもあるように、これまでのサッカー人生について書こうと思います。長くなるのでサッカーを始めてから中学生までを前編として書こうと思います。

〜幼稚園〜

サッカーを始めたのは、3歳で父の影響もあり幼稚園のサッカースクールに入りました。実際の所あまり記憶には無いですが、両親からはキーパーをやている時によく蟹ポーズをしてサイドステップをしていたらしいですww。幼稚園の時はただやっていた感じで、幼稚園の時の将来の夢はなんと野球選手でした。

〜小学生〜

小学校は、少年団の高塚FCに入りました。このチームに入ってとても良かったと今でも思います。なぜかと言うと小学生の時で自分のプレースタイルを確立できたからです。常に自分よりうまい選手が居たし、運がいいことに1つ上の学年と練習ができたことで、努力してその選手達に追いつき追い越したい気持ちがこの頃からありました。自分を周りと比べた時に何ができるのかを理解できていて、周りより体を張ったり、周りより走ったり、周りが嫌がるヘディングをやったり今思えば当時の自分ができるプレーができていたと思うし、どういうプレーをすればチームが勝てるかとかなんとなくわかっていたと思います。その中でも上手くなりたい気持ちは毎日持って練習ができていたと思います。

この高塚FCで、6年間通してチームとしても個人としてもいい結果を残せていませんが、それでも人として成長できたし、何よりこの年代の時に自分は決してうまい選手では無い事を感じたり、色々なポジションを経験させてもらったり、自分のプレスタイルを理解させてもらいながら試合に使ってくれたり練習に取り組める環境を作ってくれたコーチ陣には感謝しかないですし、今でも顔を出せば懐かしさを感じると共に初心に戻る事ができたり、自分が尊敬している先輩方にも会うことができるとても大切な場所です。


〜中学生〜

中学生では、中学校の部活でなくクラッキス松戸と言うクラブチームに入りました。ここに入りたいと思ったのは、家から通える範囲で1番強いチームで幼稚園時から一緒にサッカーをしていた1つ上の先輩が居たからです。(この先輩は17年間で1番上手くてプレーヤーとしても人としても憧れの選手です)

しかし、このチームに入るにはセレクションを受けて合格しなくては入れなかったです1回目のセレクションでは継続で2回目を受けに行きました.ここで悲劇が起きてしまいテスト中に足を挫いてしまい、痛くて全く動けないまま終わってしまいました。アピールができず帰りの車では落ちたなと思ってました。次の日に病院に行って足を検査したら足首の靭帯を3割切れていましたww。
セレクションの方はなんとまた継続でした。
この結果を知ってすぐにチームの方に今の足の現状を伝えて、完治したらテストを受けに来て良いと言ってくださり、約1ヶ月後に受けに行きなんとか最後の最後に受かり、無事クラッキス松戸に入る事ができました。

クラッキス松戸は自分が思っていた以上にレベルが高くて最初は色々と苦労しましたが、小学校の時に感じれない事を感じれたりして、とても充実していました。Aチームの試合に出る事は決して多くなかったけど、良い仲間とコーチに出会えたし、高い意識を持って1回の練習に対して妥協しないで取り組む習慣を身に付けれたし、沢山の思い出を作ることができたし何より成長する事が出来た事が何よりも財産になったと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。まだまだ書きたい事、伝えたい事は沢山ありますが、ざっとですが経歴を書けたかなっと思っています。次回は高校生から今の現状までを書こうと思います。是非次回も最後まで読んでくれたら嬉しいです。

『和而不同』

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