【旅log】アメリカ編|青春を始めたばかりの君へ_001
「自分を探す旅って、面白いんだろうか。」
初めて旅に魅せられたのは、高校生くらいのときに読んだある旅人さんのブログ。
東海道をヒッチハイクしたり、日本列島を歩いて「横断」したり、ママチャリでイスタンブールまで行ったり。
大人じゃ考えないような、考えてもやらないような企画とコミカルな言葉遣い。
年齢は僕と同じくらい。感性が刺激的。
写真と文字だけで広がる世界がたまらなくて、ワクワクしたり、ウズウズしたり。青春っていうやつ。
今なら動画なんだろうけど、画素や画角が素朴な写真と若くて勢いのある文章。
またあのワクワクを思い出せたら。
なんてね。
第1章 【終わり】で始める
教師を辞めようと思ったのは随分前のこと。周囲へ表明したのは1月末だった。
立場や業務、いろんなものが中途半端なままになるんじゃないかと申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、後には戻りたくなかった。
いつ辞めたって、何かが中途半端なまま残る。仕方ない。
何かを終えても、たいてい他の何かが同時進行で始まっているんだから。
それに、申し訳ないなんて…。そんなに貢献してたかよ。
誰かがそう言ってくれれば楽だなと思いながら、自分で自分に言ってあげることにしていた。
寂しがられないのも寂しいけど、後を濁して立つよりはいくらかマシだろうって慰めた。
辞めたらどうなるって、考えてなんかいなかった。
「こうしたらこうなる」みたいな人生の方程式の存在も無視していた。
そんなもん、あるんか?とも。
あるって人もいる。あるって思うから「辞めないほうがいいよ」とか「辞めたほうがいいよ」とかっていうアドバイスが成立するはず。
その方程式は、人それぞれ違うんだろうな。
僕には、どんな方程式も見えてこないんだよな。文系だからかな。
退職を決めた後の3月。
ずっと思い続けていたアメリカ旅行を決めたのもこの時期だった。
中学生対象のアメリカ短期訪問事業。
これに同行する高校生の引率として、教員時代に僕も6回参加した。
ほとんどの中高生が飛行機に乗るのも初めてと言う。
渡米前の緊張感を乗り越え、ホストファミリーと過ごす時間や通じない英語しか使えない生活のなかで、彼らは複雑で尊い感情を育んで帰国する。
そして帰国後、何かが足りない自分に気づいて飛躍するきっかけを掴んでいく。
感情の経験なくして大人にならせるわけにいかない。それが教師としての僕のモットーだった。
彼らのキラキラ輝いたそんな瞳が忘れられなくて、また参加させてもらえないかと連絡を取った。
自腹で参加するとはいえ、4月からは通りすがりのお兄さんみたいなもの。快く迎え入れてくださって、本当に、感謝しかない。
今回は高校生の参加はなく、中学生だけの訪問になった。
高校生がいたら違った雰囲気が出るが、中学生だけというのも、まとまりがあって、すごくいい。
このプログラムでは、渡航前の数ヶ月間、週1回の学習会が開かれる。
英会話をはじめ、現地の風習や文化などを学ぶ。完全オールイングリッシュのレッスン。
選考会を勝ち抜いた猛者たちだ。学校の勉強内容はそれなりに頭に入っているというが、ネイティブの講師の先生のナチュラルスピードの英語には、なかなか苦戦する。
彼らはこれから、どんなふうに成長していくんだろう。
実は以前、「成長」って言葉が怖くなった時期がある。
良くならないといけないという強迫観念にすり替わってしまっていたのだ。
変わらなくったっていいじゃないか。
昨日と同じだって、それが自分らしさってもんだろ、って。
今は、また「成長していきたい」って思えるようになった。
この歳になると、それはもう「成長」って呼ばないのかもしれないが、そう呼ぶかどうかは僕が僕の感性で決めていいんじゃないかな。
出発前、最後の学習会に参加した時、みんなにエールを送った。
みんな、まっすぐ僕の目を見てくれた。
みんな、真剣。真剣に、自分の選んだことをやろうとしている。
旅行感覚で参加したんじゃないのか?と疑わしい奴もたまにはいるけれど、それぞれの感性が導き出す解に向かって、存在しない方程式に立ち向かう。
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