そして私はまた一つ自分のページをめくり、Love Yourselfを学んだ

あけおめです。

自分ってこんなにも弱く愚かだったんだなぁ、と恥ずかしさのあまり思わず隠れてしまいたくなるような、そんな情けない日々を久々に過ごした年末年始でした。

地元から戻る新幹線に揺られながら、思った。
…なんだ自分、成長したつもりで全然空っぽな人間じゃないか。

じゃっ綺麗なもので埋めてみるか!!
→ 久々にBTSを享受しまくろ!!


単純ですね。
でも人生こんなものでいいと思います。
同じように自己嫌悪で悩めるそこのあなた、せっかく心に穴が空いたなら美しい推しの姿で埋めるチャンス、それが推し活道(ドヤァ)


実際のところ、私をBTSの沼に引き摺り込んだジンペンの子と地元でPTDコンサート鑑賞会したということなんですけどね。そこからたがが外れたように動画を見て、音楽を聴いて、素敵な和訳noteを読み漁りました。


そして私はまた新たに知らない自分を知り、自分を好きになれるステップを1つ踏んだ、と思ったのです。
せっかくなので、その内容を書き留めて新年の誓いとさせていただきたいと思います。


1.Herとの出会い

僕の全ての不可思議に対する答え
僕は'君'を'her'と呼ぶ
'君'は僕の'tear綻び'だから

アルバムLove Yourselfシリーズの序盤に出てくる"Her"と言う曲の一節。僕(表向きの僕=ペルソナ)が君(内なる自分=Her)に出会う、それこそがTear=綻びだった。
この構図が自己理解にとても役立ちました。


※今回も大好きなnoa様の和訳を引用させていただきました!


…恥を忍んで具体的に私の歩みをお伝えします。1人でいいから、同じような生きづらさを抱える人に届くと良いなと願って。


私、おそらく第三者的には奔放バリキャリ女子って感じなんですよね。普段。
でもメンタル激弱なんです。高校生くらいかな、気を抜くと自分を疑う気持ちが強まって、立っていられなくって、過呼吸で保健室に送られる弱い自分が嫌で仕方なかった。
一方、その繊細さなくしては自分でいられないとも思い、他でもない自分の感受性を守るために理系研究職という道を選んだのが大学生のとき。理系でなくてもいいんですが、ロジックや数値で自分の正しさを証明していく、そんなふうに社会を/社会と歩んで行きたいと思ったのです。

10年働いて、やっとそれが先述の"バリキャリ女子的"ペルソナとして馴染んできたなと自信を持ち始めた矢先、私は古い友人と再会しました。それが最近のこと。

メンタル激弱時代の私をよくよく知り、気にもかけてくれた人。"相変わらずメンヘラじゃん"と何度か見透かされたように笑われ、悔しいような、でもどこか安心したような、惹かれるような反発するような思いに見舞われ、ひどく動揺しました。感情的になって相手との関係性も崩れました。

実は私も思っていたんです。相手もまた、繊細な自分を抱えつつ遠ざけて生きていている、本質は何も変わってないなと。結局私たちお互い鏡でしかなくて、そいつこそが、多分私にとっての"Her"だった。コンプレックスと言い換えてもよかったと思います。

年末年始で仕事=ペルソナの拠り所を一時的に失ったということもあり、私のペルソナはめっためたにTear、裂けてしまって。
なんのためにそんなに頑張って働いてるんだっけ?弱い自分を遠ざけたいの?守りたいの?そんなに自分のことばっか考えて生きてんの?


ということでこの辺でアルバムLove  Yourself Tearの代表曲、FAKE LOVEでも置いておきます。スニッカーズに埋もれる推し、かっこいい。



2.Persona
私という本のページがめくられただけ

そうやって築き上げたペルソナがあったこと、Herとの出会いでそれが脆くも裂けてしまったこと、そんなプロセスも肯定しようと思えたのが現在地かな。

"Her"の最初、ナムさんパートにはこんな歌詞があります。

'君'と出会って、僕が本なのだと気づいた
ということなのか?
いや、
'君'が僕のページをめくった
ということなのか?

君=her=内なる自分です。
本の硬い表紙がペルソナだとすると、守っている中のいくつものページは内なる自分。
どちらが正しいということもなく、自分自身は単一でなく、本のようなものなのだ。
中身がない表紙に意味はないし、表紙がないと中身を読んでもらえません。

そう考えると、"自分の感受性を守るために理系研究職という道を選んだ" 、そういうペルソナを覚悟を持って選んだ自分を褒めてあげたいなとも思うのです。
大衆、社会は表紙を見て正しいとか正しくないとか、売れてるとか売れてないとか無責任に言うかもしれないけど、それは表紙であるペルソナの運命である。これからも繊細な内なる自分を守ってあげないとね。
強くありたいと思うほど、時々こうやってページがめくられてパタパタするのが怖いけど。

ってことを考えてたら既にナムさんが言ってた…。次のアルバムにおいて、Herで歌われる関係性がしっかりと述べられている。
Personaって、この一連の楽曲に出会うまではマイナスなイメージを持つ言葉だと思ってたけど、能動的に社会との繋がりを持とうとする、強くて優しいイメージに変わりました。


3.Ego
たった一つ、私、私の道


同じアルバムのラスト"Ego"では、大好きな推しが"Wherever my way"とか肯定の言葉を自信満々に歌い上げています。これ、真面目で真っ直ぐなホビだからこそなんだろう、推しのソロだけど共感はできないなと勝手に諦めていた私。

いつもMVのかっこよさと可愛さとおしゃれさと綺麗さに目が眩んでよくわからないんだけど、改めて歌詞を辿ると、めちゃくちゃシンプルな思考の作業なんですよね。

自分の進んできた道を、特に分岐点を思い起こし、そうじゃなかったらどうだろう?と想像してみる。
結局他の選択肢なんかなかったよね、と思えたらあとは開き直るだけっていう(乱暴)。

弱い自分も、そんな自分が嫌な自分も、でも好きな自分も、守りたいと思って懸命に頑張って来た自分も、じゃあ他の生き方はありましたか?と言われたら、ない。

遥か彼方へと忘却する頃
思い出される あの時代
悪魔の導きと運命の召還

年末の私の旧友とのいざこざは、よくいえば自分のターニングポイントを思い起こさせ、自分の道、自分への信頼を得るための経験を与えてくれたのかもしれない。
友よ、ごめん、ありがとう、もうちょっとしたら仲直りできるような気がするよ。



最後に、クサズ大好き芸人、やっぱクサズめっちゃ好き!!!ってなりました。
私はどちらかと言うとナムさん側の人間で、ペルソナとして外の世界に自分を曝け出し、不器用に傷つき、自分でもコントロールできないうちにパタパタとページがめくられる不安定さを持っていると思います。

でもそんな私にも真っ直ぐ伸びる1本道はあり。ホビほど誠実にストイックになれなくても、何者になれなくても、きっと誰かを幸せにできる知識や経験やスキルを自身の中に蓄積できている。私の中にもホビは、j-hopeはいるんだ。そう思っても、いいのかな。


最後の最後に、LoveYourselfといいつつ肝心のAnswer、Epiphanyのくだりを入れ忘れたことを思い出しました。でも私はまだまだジンくんの領域には達せてないかもしれないと思う。
私の旅は続くということなのでしょう。


だらだらと自分のことばかり綴るnoteになってしまい恐縮です。自分のためにこの長文がどうしても必要でした。
ここまで読んでくれた方、本当にありがとう。
良い一年になりますように。

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