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銀座ウエストの威力

2018年に出版した『メルボルン案内 たとえば、こんな歩きかた』の取材でメルボルンへ行ったとき、現地で取材させてもらう人たちにギャラの代わりにせめて小さな手みやげでも渡せたら……と考えたわたしは、コーディネーターさんに相談をしてみた。

すると「必要ないと思いますよ。日本とは感覚が違うから。渡されても、『わざわざ、なんで?』って逆に不思議に思うかも」とあっさり言われて、そうか、手みやげってやっぱり日本らしい文化なんだなと、あらためて思った。

ファッション誌の世界で働いていたころ、周囲は、手みやげ名人だらけだった。

編集部にはつねに有名店の和菓子や焼き菓子、高級マカロンの差し入れがあふれていたし、わたしも取材や打ち合わせ相手の自宅や事務所にお邪魔する際は、いかに気の利いた手みやげを持参するか、そしてそれを相手が喜んでくれるかに頭を悩ませたものだった。

雑誌では「喜ばれる(そして、コイツなかなかやるなと認めてもらえる)手みやげ」的な特集が大人気。わたし自身がそれを担当することもあった。そんな環境を通じて「あそこのあれはおいしい、そしてツウな人にも喜ばれる」という頭の中のアドレス帳は充実していったけれど、郊外への引っ越しによって、いったんリセットされた。

今は、手みやげ用に買うのは、地元のお店で自分がおいしいと思うもの。
かつてのアドレス帳に名を連ねていたお店たちは、自分が用事で出向く先で「せっかくここに来たんだから、あの店であれを買って帰ろう」という目的で出向くことがほとんどだ。それも、パッと思いつくのは、東京都内で両手分ほどだろうか。

そもそも、はたらき方が変わり、会う相手も変わって、かつてのように「素敵な手みやげの最新情報を持っておくことが仕事の一部」ではなくなったのだ。

親しみやすく、ちょうどいい高級感


そんな折、「喜ばれる手みやげ」の威力を目の当たりにした出来事があった。

いよいよ家の外構工事がスタートすることになり、工事の作業をスムーズにするため、現在一時的に空き家となっているお隣の家の敷地を一部お借りすることになった。

近所に住むご家族の方が毎週管理に来ているところに声をかけて、事情を伝えたら、どうぞ、どうぞと快諾してくださった。
とはいえ、そのままというのも申し訳ない。交渉を担当していた夫から、「今度都内に出かける日に、なにか気の利いたお菓子を買ってきて」と特命を授かった。

数日後、日本橋高島屋の地下にあるお菓子売り場をウロつくわたしがいた。お菓子を渡す相手のご夫婦は、60歳前後だろうか。
日本橋高島屋といえば、オーボンヴュータンの貴重な支店がある。しかも、隣の店舗はアラン・デュカスのチョコレートではないか。でもなぁ……これを渡したところで、ピンとこない可能性も高い。

高級百貨店のお菓子フロアの重鎮、「とらや」と「たねや」が並んでいて、一応、両方のぞく。
とらやの黒×金の紙袋のオーラはさすがに特別感があるけれど、羊羹がとくに好きじゃなかったらアウトだな。
「たねや」は、賞味期限が短く、渡せる日によってはギリギリになってしまいそうだから、避けよう。
カステラの福砂屋とかヨックモックあたりは安全牌だけど、メジャーすぎて地元の近くのデパ地下でも買えるところが、もう一歩。

なんかこう……みんなが知ってて、親しみやすくて、もちろんおいしくて、大人も子どもも好きで、高級感もあって、自分ではわざわざ買わない、ちょうどいいお菓子って……と彷徨うわたしの目に、ふと飛び込んできた瞬間「ここだ」と即決したその店は、銀座ウエストだった。

誠意を伝えるお菓子


ドライケーキの詰め合わせを持ち帰り、夫に「ウエストにしたよ」と伝えると、ちょっと意外そうな顔で「ふーん、他にもっと、なかったんだ?」と言った。

とらやも、たねやも、福砂屋も、ヨックモックも、なんなら千疋屋ものぞいたけど、ウエストがベストだと思った、と説明すると、「オッケー、じゃあ明日渡してくる」と納得した表情だった。

翌日、隣家を管理するご家族に、ウエストのお菓子を渡して帰ってきた夫は、興奮が隠せない様子だった。

「ウエスト、すげーわ。最初は『そんなのいらない、いらない』って言ってたのに、ウエストのお菓子だってわかったら、目の色が変わって。『え、ウエスト!大好き!いいんですか!?』って奥さん、大喜びしてた」。

正直、わたしもそこまで喜んでもらえるとは思っていなかったので、夫の詳細な報告を聞きながら、「さすがだなぁ」とあらためてウエストの威力に感じ入った。

「本国以外で唯一の支店が東京のここ」とか「デパ地下には卸していなくて買えるのは本店だけ」とか「いつも行列で午前中には売り切れてしまう」とか。手に入ったこと自体がうれしいお菓子は、いろいろある。

でも、年代が違う、好みもライフスタイルもわからない相手に、お礼や謝罪などの思いをしっかりきちんと伝えたいときに「このお菓子を持ってきたということは、ちゃんと誠意を感じるな」と思ってもらえるお菓子はというと、それほど多くはないように思う。

でも、今回の一件で、銀座ウエストは、その数少ない1つといえるんじゃないか、と思った。
久しぶりに実店舗の喫茶室に出かけて、あの気持ちよく背筋がのびるような、特別なお茶の時間を楽しみたくなっている。

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