靴の整理というドラマ

最近、下駄箱からわたしの靴が、1足、また1足となくなっていることに、家のなかの変化にはあまり敏感ではない夫もさすがに気づいて、「靴、いったいどうなっちゃうの?」と聞いてきた。

そう、ただいま自分の靴を、少しずつ処分しているのである。
といっても、1足も捨ててはいない。
きれいに手入れをしてメルカリに出品すると、すぐ引き継ぎ手が見つかり、気持ちよく旅立っていってくれる。

もともと、靴は家の下駄箱に入る以上の数は持たないことに決めているから、これまでも新陳代謝を繰り返してきたし、ということはつまり、いま手元にある靴だって、すべて現役で気に入っているものばかりだ。
でも、どんなにその靴の「モノとしてのたたずまい」が好きだとしても、気づけば3年も履いていない、なんて靴もある。というか、普段の行動を振り返ってみれば、自粛生活で行動範囲が限られているせいもあるけれど、よく履いている靴なんて実は1、2足なのだ。

この先、自粛生活が明けたところで、これまで3年間も履いていなかった靴をまた履くようになるだろうか。そう自問して、「NO」という声が自分のなかから聞こえたら、手放す準備をする。
幸い、メルカリで購入してくれた方たちは品物の受け取り後にそれぞれ喜びのメッセージをくださるので、未練も寂しさも後悔もない。むしろ、「大切に使わせていただきます」というコメントが届くたび、あぁよかった、きっと正しいことをしたのだ、という気持ちになれる。

黒いニューバランスより白いスタンスミス


クロゼットの整理をしていると、「自覚していない今の気分」に気づかされることがある。

たとえば、どうやら今のわたしは、とにかく「軽く、軽く」という方向へ気持ちが向いているらしいのだ。
どんなにデザインが好きで、値が張ったものだとしても、ほんのちょっとでも「重たい」と感じた記憶があるものについては、今なら迷いなく手放せることがわかった。

また、実際の重量に加えて、見た目にゴロッと重そうなものより、シュッとしていたりサラッとしていたり、なるべく軽やかな印象の方を選びたい、ということも。

たとえば先日も、黒いニューバランスのスニーカーを手放し、代わりに白のスタンスミスを買った(単にモノを減らしたい断捨離ではないので、手放すばかりではなく新しく買うものもある)。

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その黒いニューバランス、買った時はスニーカーというカテゴリにもかかわらずたしか税込3万円もしたし、靴だけ見れば、とってもカッコよかったのだ。
がしかし、わたしが履くと、なんとなく足元がゴロンと見えるのがだんだん気になってきてしまい、最近すっかり履かなくなっていた。

それをメルカリに出品してみたらすぐに売れたので、その売り上げとほぼ同じ金額の新品のスタンスミスを買ってみたところ、「そうそう、求めていたのはこの感じだったの」という足元になった。
ニューバランスとスタンスミス、購入価格には約3倍の開きがあったが、今のわたしには、白いスタンスミスの方がいい。うれしくて、最近は出かけるとなると、ついこのスタンスミスを中心におしゃれを考えてしまう。

スタンスミスって、20代だった約20年前も大流行したから、そのブームに乗ってよく履いていたのだけれど、なんだか今の方がしっくりくるし、この靴の魅力がわかる。
実は大人のスニーカーだったのね、ということにようやく気づいた次第。

地震に遭っても歩いて帰れる靴


ヒールが4センチ以上ある靴は、今後ファッションとして履くことはほぼないだろうと思っていて、ブラックフォーマル用の1足だけは残し、他はじっくり吟味しながら処分している途中。

トレンドやコーディネートのバランス的にはヒールの方がきまる、という日はもちろんあるのだけれど、今のところ、自分のおしゃれにはもはや細くて高いヒールの靴は存在しないもの、として生きている。

その方針が決まったのは、東日本大震災だった。

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821字
暮らし・仕事・おしゃれ・健康を題材としたエッセイ(平均2000字)が28本入っています。

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