見出し画像

静かに思いが沁みてくる

今泉力哉監督の最新作『窓辺にて』を、公開直後の劇場で観た。

まず結論。とてもとてもよかった。わたしが好きな映画、と思った。
朝一番の映画館で一人、スクリーンと対峙する時間が、すごく豊かなものに感じられた。
個人的な感覚として、観終わった後はずっと、村上春樹さんの短編を1本読んだ後のような余韻が、胸にずっと心地よく居座りつづけている。

フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。

映画『窓辺にて』公式サイト「Story」より引用

公式サイトの今泉力哉監督のコメントにも何度もうなずいた。

「稲垣さんと映画をつくりませんか、というお話をいただき、長年温めていた「万人からは理解されないかもしれないとある感情」についての映画をつくろうと思い、脚本を書き進めました。きっと稲垣さんならこの主人公の中に渦巻く複雑な心を体現してくれるのではないかと思ったからです。できあがった映画を今、目の前にして、ああ、この映画の主人公が稲垣さんで本当によかったなと思っています。美しくて、寂しくて、温かくて。

映画『窓辺にて』公式サイト「Staff」より引用

今泉監督が挑んだ「万人からは理解されないかもしれないとある感情」を、たしかに稲垣吾郎氏は見事に表現していた。というより、主人公の茂巳は、まるで稲垣吾郎そのままという感じで、演技というものをまったく感じさせないほどだった。
わたしがかつてSMAPのなかで一番好きだった吾郎ちゃんは、こんなにもすごい役者さんだったんだ!と映画館を出た後、じわじわと感動していた。

そして、監督がテーマに据えた「万人からは理解されないかもしれないとある感情」に、わたしは深く共感していた。
茂巳の気持ちが、わかる。
というか、わたしも茂巳タイプかもしれない、と。
そして、観た人の大半とまでいかなくても、半分近くにはそう思わせているんじゃないかって気がする。
それはまるで、村上作品を読むと、「ここには自分のことが書いてある」と多くの読者が感じることと、ちょっと似ているかもしれない。
マイノリティー側の感情を繊細に描き出した作品は、多くの共感を獲得できるのだ。
だからこの映画は、つくり手がスタート時に目指したゴールにちゃんと到達している、といっていいのだろう。

作品の魅力は、ストーリーより、脚本と演出面で際立っていると感じた。
全編通して静かな映画で、早口な人も、にぎやかな場所も出てこない。
あ、訂正。パチンコ屋のシーンはあった。でもそれ以外は本当に静かだった。コーヒーを飲みながら本を読む喫茶店も、フルーツパフェをつつくカフェも、和食屋も焼肉屋も、ホテルの部屋も、ジムも、真夏の公園も、主人公夫婦の暮らす瀟洒なインテリアの家も、まだ幼稚園くらいの女の子が家のなかで遊ぶ様子でさえ、とても静か。

人物たちの会話は、どれもゆっくりと浮かんでは消えるようにして、心に沁み込んでくる。同時に、言葉の何倍も複雑に揺れている感情を、わたしたちは全身で受けとっている。

言葉は、思いの何分の一も伝えてはくれない。
それでも、なんとか言葉にしようと試みる、そのもどかしさや、願いや、希望や、あきらめの感情にまで心がふるえる、この感じ。
最近もどこかで、と思ったら、久しぶりにハマっているドラマ『silent』を観るたびにあらわれる感情と同じだと気づいた。

どのシーンも静かで、やさしい時間が流れている。
登場人物たちはみな悲しみや戸惑いを胸にしまいながら、相手に心配させまいと微笑んで見せて、「大丈夫だよ」と言葉で、手話で、伝える。

実際は揺れまくっているのに、感情を昂らせて大声で泣き叫ぶようなことをしない。そこにかえってはげしい心情が浮き彫りになっているところが、『窓辺にて』と『silent』は似通っている。
いや単に、わたしの感情の同じ部分がふるえるだけかもしれないけれど。

ともあれ『窓辺にて』は映画館で観るのがおすすめです。
あまりに静かなので、たぶん家では集中しづらいかもしれない。
真っ暗な映画館でシートに身を沈めながら、過ぎ去った夏に思いを馳せるようにして観た、よき時間でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?