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あっちもそっちもなく生きる

最近とくに心に響いたのは、あるインタビューでお会いした方から聞いた話だった。

なにかをつくる人になりたくて、でもその「なにか」がわからない。
好きなこと、好きなものはいろいろあるけれど、自分が一生やっていけることはどれなのか……悶々と悩んだ日々のことを語ってくれた。

結局その人はある大きな試練によって「なにか」を見つけ、その道の作家となり、だからわたしは取材を通じてお話を聞くことができたのだが、模索の時期を振り返りながら「わたしは『あっち側の人』になりたかった」と語ったのが、とても印象的だった。

「あっち側の人」のことを、「わかりやすく言うなら、ライブに行ったら、ステージに立っている人。映画を観に行けば、その映画をつくった人」と説明してくれた。
 それは人前に出たい、有名になりたい、という意味ではなく、「自分でなにかをつくり、自分のことも他人のことも楽しませられる人」という意味だという。「ライブでも映画でも、観客としてどんなにワクワクする時間を過ごしたところで、いちばん楽しいのは観客側にいる人間じゃなく、それを生み出している側の人だろうなって思っていたんです。だからわたしは、それを生み出す『あっち側』へ行きたかった」

肩書きが示す方向性と、生みがちな誤解

これも最近あったこと。
以前ライターとしてお世話になった雑誌編集者の方と、夫が会う機会があり、わたしの近況を聞かれたので、「もうすぐ新刊が出るのでがんばって膨大なゲラ読みしてますよ」と答えると、「そうですか……もう『そっちのほう』でがんばってるんですね」と言っていたそうだ。

これまでも、かつての仕事先から仕事の依頼を受けるとき、連絡をいただいてまず最初に「ライター仕事もまだやってもらえる感じですか」と聞かれることがたびたびあった。
「もちろん、スケジュールとテーマが合えば喜んで」と即答してきたし、今もそうしている。

新刊『ただいま見直し中』にも収録しているエッセイで、「肩書きってむずかしい」という文章を以前に書いたが、実感として、この内容に対する共感の声は、他のエッセイとくらべてとくに多いように感じる。
共感してくれるのはフリーランスで働く人がほとんどで、「自分がモヤモヤ感じていたことが書かれていて、読んでスッキリした」と言っていただくこともある。

フリーランスの肩書きは、単に職業名というだけでなく、目指す方向性を周囲に理解してもらうという役目も担っている。
エッセイのなかで、わたしは長く続けてきた雑誌の仕事から、書籍の仕事の方へシフトしていきたいという決意とともに、「エディター」を「編集者」に、「ライター」を「文筆家」に変えたことを書いたが、それで万事すっきり解決、とはいかなかった。

「ライター」から「文筆家」に変えたことで、自分としては胸が躍るような雑誌のインタビュー仕事さえ、「依頼していいんだろうか」と相手を一瞬迷わせてしまう。弊害とまではいわなくても、こちらが意図していないところで、小さな誤解を生んでしまうおそれがある。大枠としての立ち位置とか方向性を肩書きで示すことはできても、例外や応相談の部分まで伝えきることはできないのだ。

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生きかた、はたらきかた、暮らし、モノ選びetc.のエッセイが12本入っています。

2022年12月発売のエッセイ集『すこやかなほうへ』(集英社)に収録されたエッセイの下書きをまとめました(有料記事はのぞく)。書籍用に改稿…

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