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相手の中に、最高のものを見る方法

去年から、うちの店では、高校生や、大学生のアルバイトスタッフが増えてきた。

最近の若い人、ってみんなこうなの?っていうくらい、そろいもそろって、元気で、爽やかだ。

もちろん、人それぞれ心の中に抱えているものはあるだろうけど、
私には、みんなが、キラキラして 素直なエネルギーの放射が 現れているように思える。

そんなある日、

私より年配の女性スタッフが、一緒にシフトに入っている、20代前半の男性について囁いた。

「時々、彼と一緒に仕事をするのが大変なの。彼は心の中に色んなものを抱えているのよ、癒されてないのね」
と、悲しそうだった。

私には、そんなふうに見えてなかった。


はっきりとは知らないけれど、彼は、私から見ると明らかにADHDだと思われた。私の、仲のよい友人がそうで、その人と似ているふしがあったから。

その女性スタッフが、仕事がしづらい時がある、という言葉に私も理解はあった。でも、彼には、ADHDというユニークさが目立ってはいるけれど、それは私には、大したことではなかった。
それよりも、明るくて、元気よく誰にでも挨拶し、どんなフィードバックにも嫌な顔ひとつ見せずに応えて、すぐに改善しようとする態度が、有難かった。これ以上、私は、彼について推し量る必要なんてあるだろうか。


ずっと、以前の自分を思い出した。


店を始めてしばらくは、働く人の数も少なかったし、あの頃、私はまだ、スタッフとの距離の取り方が分からなかった。

特に若い人には、仕事だけでなく、プライベートまで自分が世話をやいてあげるのが親切だと、愛だと、思っていたのだろうか?

仲良くなると、色んな相談にのったり、サポートをした。
店は、私にとって、もうひとつのファミリーの形で、それは今も変わらないけれど、今思えば、私は、その人たちの課題にまで、踏み込んでしまっていた。

鬱状態になって、仕事を休みがちになったスタッフを引っ張り出して、私、自らが予約を取って、カウンセラーに連れて行ったのを最後にした。

自分までもが、彼女の問題に同調して、悲しみが増していたころ、
こんなことをしていては、私は、店を続けていられないと思った。

当時、読んだ本に、こんなことが書いてあったのだ。


人間関係というのは、ひとつのアボカドを半分に割ったようなもので、私たちは、その半分である自分に対して責任を持ち、世話をすればいい。

その半分には、癒されるのを待っている「感情」のゴミがたくさん溜まっている。それは、相手も同じで、お互いに自分のゴミは自分で掃除するべきなのだと。

私たちは、相手のゴミを尊重することはしても、相手のゴミを掃除しようとしてはいけないと。

長く母親をやっていると、小さな子供に干渉するように、相手の半分に必要以上にかかわってしまう癖がついてしまっていたのだろうか。

その本を読んで、私は目が覚めた。

人間関係の半分である、自分を世話しようと。

そもそも、自分にゴミが大量にあった当時、そのゴミは人のゴミまで引き寄せていた。そして、相手のゴミを見て動揺し、一緒に泣き、何とかしようとあがいていた。

どれが自分のゴミか、相手のものか、分からなくなっていた。



それから、私が私自身を世話し始めて、ゴミがどんどん掃除されるまでに、何年もかかった。

だんだんと、半分である相手と、その半分である自分、そして、お互いのゴミによって引き起こされる、ドラマが見えるようになった。

もちろん、今でも必要な人に、必要な手助けはする。でも、そんな時も私の感情は、相手に完全に持っていかれたりしないのだ。

相手のゴミを尊重し、相手が、それに真摯に取り組むのを、尊敬をもって、そして信じて、見守ることが、本当の愛で、それは同時に、自分への愛でもあることを、経験してきた。

そうやって、自分を世話し、自分を愛することによって、何が変わってきたか。

何よりも嬉しいのは、相手の中に、良いものがどんどん見えてくるようになった。

ひょっとすると、同じ人を見て、前述の女性スタッフのように、癒されていないゴミが見えるかもしれない。でも、私には、出勤してくるスタッフのキラキラしたものが、ポップアップしてくる。
相手が、相手の最高のものを、私に差し出してくれているように思える。
その最高のものに、フォーカスすれば、その人は、ますます輝いて、成長していくように思えた。

鬱状態に悩まされていた、スタッフは、その後、自分の意志でカウンセラーに通うようになった。そして、今も、うちで働き、私を助けてくれる、強く頼もしい女性に育った。



先日、遠くの大学へ行くために店を辞めた、20歳の女性から、最後の日に、カードを手渡された。

「あなたは、私に健全な仕事環境がどんなものかを見せてくれた。」

そう、書いてくれていた。

私は彼女に、特別、何かをしてあげたという覚えはないけれど、
今も昔も、まわりにいる人が大切で、この店というスペースが、働く人の成長に貢献するものであって欲しい、という思いは、ずっと変わりない。

変わったのは、
私が私を、もっと世話し、大切にするようになった、ということだけだ。





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