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酒飲み御一行様

去年の秋、
日本に帰国した際に、学生の頃からの友人6人と、道後温泉に一泊旅行をした。
このメンバー全員で旅行するのは、高校の修学旅行以来だからまさに40年ぶり。とはいえ、毎年私の帰国に合わせて、昔からの行きつけの居酒屋でかならず集まっては飲んでいる。

気心が知れている以上に知れている仲間。

一泊旅行を終えて、それがもう数か月前のことになってしまった。

思い返してみると、
なんて軽い、
軽い、感じの旅だったんだろう。
6人で移動していたけれど、何もない広がる空の中、まるで風に乗って旅していたような印象さえある。

よく笑ったし、よく呑んだ。

みんな酒飲みで、地元から松山駅までのフェリーの中で、まずはカンパイだと言っていた。
けれど、セーバシオという新しく就航した豪華フェリーに乗りたくて、それは朝の7時半と昼の12時半にしか運航していなかった。

それで私たちは朝の7時半を選んだ。
朝の7時半の出航!
ということは、いったい何時に起きればいいの?

いくら何でも朝の7時半から酒盛りは、このメンバーの中でも、トップをいく酒飲みだと自負していた私でも、どうしてもピンとこなかった(笑)。

でも40年以上も付き合ってきた末に、私はここで皆んなの本気を知ることになる。

船内に着くや否や、広いテーブルを陣取って広げられた数々のおつまみ。

誰かがちゃんと、かわいいナプキンや紙皿を用意してテーブルセッティングも完璧。

最初のカンパイにと、スパークリングワインをひとりが用意してきていた。

そして白ワイン、そこから赤ワインや、日本酒、焼酎とそれぞれのバッグからいくらでも出てきた。
私の大好きな、レンコンのきんぴらを手作りしてきてくれた人もいた。

朝7時半からの酒盛り、
ほんとだったんだ!

心中驚きながらも、集えたことが嬉しくて、楽しくて。
そして呑んだ!

誰かが、夕べは嬉しくて眠れなかったと言って騒いでいる。
60を数年後に控えた私たち。
でも子供の頃の遠足とまるで変わらないノリなんだな。
そして、年々、どんなことでも笑いに代えてしまう術が、皆んな長けてきた。

深刻さは、どっかに置いて、
今を楽しむことが、もっと楽にできるようになったお年頃なんだろうか。

松山に着いて、さっそく名物、鯛めしのランチと、松山のお酒の飲み比べ。

道後の町をぶらぶら散策した後で旅館へ。

用意されていたお茶と、和菓子で一服した後に、部屋の広い畳の間で始まったのは、ダンスエクササイズ。
インストラクターをしている友人がしっかり準備して、私たちのためにクラスを開いてくれた。(だから彼女のスーツケース、海外旅行並みに大きかったんだ!)

汗をかいて、温泉に入った後に夕食と、この日、何度目かのカンパイ。

あとは早々と布団に潜り込む人、飲んでる人、夜の町を旅館の浴衣で散歩に出る人、夜中に起きて、また飲み始める人、
皆んな好き勝手にやってる。

朝になってひとりが、お気に入りのマイボトルをどこかで失くした、と悲鳴を上げた。
「昨日、行ったところ、もう一回辿って探してもいい?」
彼女は私たちに尋ねる。

別に取り立てて予定があったわけじゃない。
観光は、ただみんなで一緒にいたいだけの口実だから何だっていい。

それで、私たちは朝食のあと、旅館をあとにして前日に練り歩いた道後のお土産街道を再び歩いた。

あら、あら、
お土産、また買っちゃった、
この旅行って、マイボトルの行脚だっけ?
とか何とか。

道後街道でマイボトルが見つけられなかったので、今度は昨日、鯛めしを食べたあたりの市内の大街道へバスで戻った。


もうすぐお昼。
誰かが、
「あ~酒飲みたい!」
と呟く。
その一言で、全員が吹き出す。
そうだよね、毎日毎日仕事を頑張って、こんな朝から昼から飲むことなんてないんだもんね、と彼女をみんなでなだめた。

よし、よし、じゃあ蕎麦屋へ行こう!

今度は蕎麦屋を探しに。
けれど、この松山大街道というところは、その名のとおりの大街道で行けども行けども続くけれど、どこにも蕎麦屋がない。
諦めかけたところを、ひょいと裏道に逸れると、
とってもお洒落な、つけ麺スタイルのお蕎麦屋さんが現れた。

てきぱきと狭い厨房で働く、若い男の子たちにうっとりしながら、美味しいお蕎麦と日本酒を頂いた。

私たちのいいところは、
泥酔しない、
きれいに飲む、
楽しいお酒。
なんて自画自賛。

誰もが自分自身でいられる空間、というのは何て楽なんだろう。

でも自分自身という「自分」という意識もなくて、心地よくふわふわと皆で流れてる。

誰かが、ぽっと口にした言葉が空中に浮かびあがって、それを目印に動いていく。

それって、渡り鳥的な?

カリフォルニアの、家の近所の湖を散歩しながら見かける渡り鳥。

いつも不思議な気分で見上げていた。

そこに鳥たちの意志はあるのか、ないのか。

そこには、ただ「流れ」だけがあるような気がしていた。

「流れ」にのっているとき、私たちは最高に心地いい。
そして目的は果たされる。
(いや、友人のマイボトルは見つけられなかった!)


渡り鳥たちはきっと言うだろう、
「私たちは酔っ払いではないよ」、と(笑)。


追記 もちろん帰りのフェリーでは、松山からのおつまみとお酒で、締めくくりました。


この旅行の発端になったお話


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