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新年の抱負を口にするためらい

1週間に一度集まる瞑想グループに入っている。

瞑想グループといっても、私を含めて5人で、集まる時間は、火曜日の3時半からのきっかり1時間。しかも瞑想は30分で、あとは近況報告、エネルギークリアリング、オラクルカードを読んだりと、その時々に合わせて遊んでいる。


そのグループとは何年ものお付き合い。
1時間しかない時間だからこそ、余計なことは話さない。
みんな忙しい合間をぬってその場所に集っているのだから。
言い換えれば、そこまでしてでも、私たちはこの時間を確保したい。

私はラッキなーことにこの集まる場所が、私のレストランの隣のビルディングなのだ。
だから、仕事の合間に、ちょっと瞑想してくる、なんてことが出来ている。

さて、
2023年に入ってからの初めての集まり。
まとめ役のケイリーが、新年の抱負をみんなに打診する。
そして、こうして会うたびにそれぞれのゴールを確かめ合って、サポートしあっていかない?と。

トムは真っ先に言う。
僕はもっと海に入りたい。
60を過ぎても現役のサーファー。
そして、妻との時間を大切にしたい、と隣に座るワイフにウインクした。

ケイリーはますます、人と魂と魂で繋がれる関係を築くこと。得意のヒーリングや過去世リーディングを本格的にコミュニティに提供していくことを。

30代の女性は、
「ピースフルな子育ての探求」
末っ子の男の子が今年3歳。
ピースフルな子育て、っていう目標自体がストレスの元になりそう、と私は一瞬思ったけど、
彼女が言うには、こうして集うこの時間こそが その助けになっているのだと。
シュタイナーメソッドでの、ホームスクーリングを7歳の娘に、仲間とやっている彼女のぶれない姿勢を、もう長いこと見てきた。

 Helthy
 Happy
 Helpful
3つの ”H”で簡潔にまとめた、私と同年代の女性。
いつであろうと、それが彼女の指針なのだそう。
以前はロサンゼルスで、セレブのプラントベースの専属シェフをしていた。
「そして、もっと自分の直観と繋がっていくことね」と。
もう、十分直観的だよ! 
そうやって生きてきて、来月にはオーストラリアに自分の居場所を見つけて、越していくのだから。

それぞれの明るい笑顔を見るだけで、その場所にいるだけで、私は幸せになる。柔らかな空気感、期待に満ちた瞳、大好きな人たち。

人は自分の目標や夢を語るとき、その人の波動は上がっていくものらしい。

だから、問題にぶち当たったとき、気分が落ち込んだときには、あり得ないくらいの夢(wild dream)を考えてみるのがいいんだよ、と教えてくれた人がいたっけ。

私の話す番になった。
けれど、浮かんでこない。
頭の中は真っ白な筈なのに、同時にたくさんのことがうごめいている。
でも、どれもが本当に自分のしたいことなのか確信がない。どれもが自分じゃないと思う。

そんなに深く考えず、さらっと言ってしまえばいいのに。
どうしてこんな、口籠もってしまっているんだろう?

みんなの温かい、期待に満ちた視線が降り注ぐ。
ここでは どんなことを口にしたって安全なのだ。

数年まえに、子供たちと書き初めに書いた文字を思い出した。
「早寝早起き」
そう、そんな軽さでいい。

とっさに口から出た言葉には、みんなが私らしい、と言って微笑んだ。

その数日後、たまたま見つけたこの文章に、なるほど、私の新年の抱負へのためらいは、こういうことだったのかと何か、ほっとした。

夜、その日一日を眺め、そのまま死ぬと思っていると、一日が完結するようになっていきます。それは完成しないとだめだという意味ではありません。
(中略)もしかしたら、途中にこそ神髄があるのかもしれません。人はどこかの時点で人生を終えますが、だいたいの場合、それは何かの途中です。物事を完成させなければいけないと思いながらも、生命はある日終わってしまい、おそらく何かを抱えたまま終わるのです。だから途中であることを恐れない、むしろ途中であるからこそ味わう、味わえる、ということをしていってはどうでしょうか。

時空を超えて生きる/Kan. 著 ナチュラルスピリット


そういえば、これまでの人生、何十回と新年の抱負を語ってきたけれど、自分には機能しないと悟っていたんだった。
だって、興味は次々に変化するし、抱負を語った数か月後には、忘れている。
日記帳を見返して、「へ~、こんなこと考えていたんだ」と、他人事である。要するに、新年の抱負を語る自分を、信頼できなかったんだ。

それよりも、気づいたら私の暮らしにまだそれがあった、ということの方がしっくりくる。
そうやって何年も続けていることは、ある。
海辺で砂を掴み、手のひらを海水に浸した後にも、そこに残っている砂粒のように。
自分から意気込んでやることは、どうもうまく流れに乗らない。
肩に力が入りすぎてしまう。

それにしても、「途中にこそ神髄がある」、という言葉。

これでまた、楽に生きられる(笑)。


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