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楽しむために楽をしない

山田孝之のドキュメンタリー映画「no pain no gain」を知っているだろうか。

2019年に新宿シネマカリテでめちゃくちゃマイナーな感じで放映された、山田孝之ファンにしか需要がないであろう2013-2019年をひたすら追いかけるドキュメンタリーである。

わたしはこのマイナーな映画をわざわざシネマカリテまで見に行ったどころか、Blu-ray Discまで持っている。

映画を見たあと感銘を受けて勢いで買ったのだと思うが、一度も封を切られず本棚の隅に置いてあった。

断捨離と引っ越しが趣味で、いらないものはすぐメルカリかブックオフに売るわたしがずっと本棚に置いているのだから、よほど感銘を受けたのだろうとそのすっかり内容を忘れてしまった映画を久しぶりに見てみようと思った。

山田孝之はすべての作品を見ているわけではないが、ちょうどこのドキュメンタリーを出した頃までの数年間、彼の「トチ狂った」なにかを模索しているような、抵抗しているような、生き急ぐような生き方がとても好きで興味があった。

わたしはエンタメに節操がないので、良い作品を作る人はわりとチェックしている方ではあると思うが、ドキュメンタリーを買うほど入れ込んで見続けているとしたら山田孝之と赤西仁くらいである。

このふたりは数年前から親交が深くなったのでおもしろいなと思っているが、ずっと見ている側からしてもそりゃ仲良くなるよね、と思うくらい生き方や考え方が共通していると思う。

たくさんあるけど、特に大きいのは「楽しむことを大事にしていること」「自分にとってなにが大切かわかっていて、ブレずに貫けること」だ。

山田孝之は30代前半のこの模索している期間、逆に不安定だったりブレブレに見えたけど、ドキュメンタリーのタイトルにもなっている「no pain no gain」(痛みなくして得るものなし)は、作中では

「楽しむために楽をしない」

の意で訳されている。
「楽しむ」ために異様にストイックになること、楽をしないことの一点において、彼はまったくブレていないのだ。

同調圧力と忖度が日常のこの日本で、「自分を貫く」ほど実はしんどくて楽しい生き方はないんじゃないかと思う。

みんなと同じようにしていた方が圧倒的に楽で、誰とも争わず、嫌われず、中傷もされず、ぬくぬくぬるま湯みたいな場所で生きていける。
そういうしかけが、この国にはたくさん用意されている。

でもそれでは自分の心がどんどん死ぬし、しかもぜんぜん楽しくないことに気づくはずだ。

自分らしく生きることや、自分の信念にもとづいてわがままを通すことは今の日本の社会ではだいぶしんどい。

白い目で見られるし、後ろ指を刺されるし、まわりの人もたくさん離れると思う。

それでも「自分のやりたいことはこれで、自分はこう思うんだ」と言えるだろうか。

みんなと調和して、役割をちゃんと果たして、社会的な立場も築きつつ「ちゃんと生きている」ことが求められるだけの社会は息が詰まりそうになる。

そうしているうちに、本当は何がやりたかったのか、自分とはなんなのかよくわからないまま周りに合わせて生きるようなカメレオンみたいな人間が出来上がる。

わたしが山田孝之と赤西仁が好きなのは、時に葛藤したり、傷ついたり、大切なものを守るために戦って自分を貫いたりして、まっすぐ自分に正直に生きている彼らが、カメレオン化したわたしに「本当は何がしたいの?」と問いかけてくれるみたいな存在に思えるからだ。

以前に比べて仕事にも情熱を持てなかったり、ありあまる時間や効率と引き換えに、楽をすることでなんか前より楽しくなくなってしまったな、と日々感じているわたしにとって、まったく刺さる内容のドキュメンタリーだった。

とりあえずなにか楽しくて不便なことがしたくて、キャンプ用品を未漁るようになった。
今はただ目の前の楽しいことにアンテナを立てていようと思う。

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