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マルチポテンシャライトという生き方



マルチポテンシャライトという概念を知った。

いろんなことに興味を持って、いろんなキャリアをはしごしたり、かけもったりする働き方をする人のことだ。いつもワクワクすることの中に身を置いていて、刺激的なことが好きな人たち。

興味の対象が多くて、すぐにのめり込むのに飽きて続かない。広く浅くしか知識が持てず、なんにもモノにならない役に立たない性質。

そんなふうに自分の性質に劣等感をもっていたわたしにとっては、とてもワクワクするような内容だった。

2015年には著者がTEDで語られていて、本まで出ているのになぜ10年弱もこの概念を知らなかったのだろうか。


もっと早く知りたかった。知っていたら、「ひとつのことがなにも続かない自分はダメ人間だ」なんて思わなかったかもしれないのに。

でも、よく考えたらマルチな才能を発揮している人は特に芸能人なんかにはたくさんいるし、そんなに珍しいことでもないのかもしれない。自由にクリエイティブでいることを認められている社会であれば、一人の人間からいろんな経歴が生まれたって別におかしくない。

ただ一般的な日本社会では、なにかの素晴らしい肩書きや、権威や、ひとつのキャリアを極めた人がすごいとされる風潮なだけで。

「仕事何をしているの?」という質問にみんながわかりやすく納得したり、おおすごい!となるのはやっぱりなにかを極めた人か、社会的地位が高い人だということはまちがいない。

単純な話、「何者であるか」がはっきりしていて、ひとつのことに秀でている方が信用も勝ち取りやすいし、お金にもなりやすい。

「使命」とか、「天職」というものは、みんながきっと追い求めているものだし、もちろんわたしだってそれを見つけたいと思っている。そういうなにか「生きる意味」や「貢献できる場所」みたいなひとつだけのものを。

でもこの本は、同時にたくさんのことにワクワクしていいし、「天職はいくつあってもいい」と言っているのだ。

今の本業が安定してきた30代になってからとくにそうだが、興味を持つことが多すぎることに気づいていた。そしてそれらにどんなにハマったとしても、数か月か数年しか情熱が続かないことも。

今興味があることすべてか、あるいは組み合わせて仕事にできたらどんなに楽しいんだろう。それも日替わりでだ。そんなことが可能なんだろうか。ワクワクする。

わたしは本業の他に、漢方、薬膳、量子力学、ホメオパシー、ヨガ、スピリチュアルなど主に統合医療にくくったジャンルを学ぶのが好きで、その時その時でハマってるものはちがえど、数年前からいろんな講座やワークショップに参加したりしていた。最近ではキャンプ、焚き火などの原始的なことを取り入れた生活、環境、自然に即したこと、日本の歴史などに興味があって調べ直している。それから旅はずっと何年にもわたって大好きだ。ひまさえあればどこにいこうか考えている。

ひととおり学んだものの、趣味の域を出なくてキャリアと呼べるものは全然ないのだが、これを何かの形で組み合わせたり、仕事にできるとしたら楽しいんだろうなあと思った。

実際、キャリアやお金に直接結びつかなくても、ほどよい本業を持ちながら多数の趣味や探求に時間を費やすマルチポテンシャライトもいるらしい。

経済的な面で言えばそれももちろん魅力的だが、ある意味わたしはこれまではそういうやり方で、知らない間にマルチポテンシャライト的な生き方をしてきていたのかもしれない。

でも、今はその「趣味」の領域をもう少し「仕事」に置き換えたくなっている。そしてもっと自由な働き方がしたい。それこそ、日替わりで明日の仕事が変わるような。趣味の延長をそのまま仕事にしたような。

どこにも属さないで、なにもかも自分で決められて、時間も場所も自由に選べたりできるような。そんな働き方だって、組み合わせしだいで可能かもしれないのだ。そんなことを考えるとワクワクする。

わたしは多趣味で、いろんなことに手を出してきていたし、引っ越しも転職も、環境を変えることに抵抗はないのだが、本業だけはずっと変えられなかった。

かつて今の仕事が天職だと思っていたし、大好きだったからだ。

今だってとても恵まれた環境で働けていると思っている。家で仕事してもいいし、時間の融通もきく。休みも自由だ。稼ごうと思えばもっと稼げる環境もある。それなのに今、わたしはぜんぜん満たされていない。

それがなぜなのか、自分がいちばんよくわかっている。

もう飽きてしまった。退屈なのだ。もう今の仕事はわたしに新しい経験をもたらさないし、ワクワクもしない。もう全部知っていてやりつくしたことばかりで、片手間にもできてしまう。本に書いてあることを引用するなら「朝飯前」になってしまった。

未経験でこの仕事をはじめたときはあんなに毎日、見るもの聞くものが楽しかったというのに、その情熱がなくなってしまったことが悲しくて、認めたくなかったのかもしれない。

わたしは数年前から、もう今の仕事がワクワクしないことに気づいていた。でもこの仕事が人生になくなったら、わたしはつぎになんの仕事をするのか見当もつかなかった。それでつぎのワクワクすることを仕事にする挑戦をズルズル先延ばしにしていた。

でもそれは「それしかない」という執着だったかもしれない。「これが無くなったらわたしには何もない」という恐れだったかもしれない。それくらい、一度感じた情熱がもう今はなくなってしまっていることが怖かったのだ。

でも世界中にいるたくさんのマルチポテンシャライトたちは、みんな自分の情熱が数か月、数年で消えてしまう虚しさや悲しさを知って、それでも今の新たなワクワクを頼りに前に進んでいる。かつての仕事で培った経験を生かして、またあたらしく楽しい仕事や生き方を生み出しているんだと知ったら、勇気が湧いた気がした。

もしかしたら自分には、もっといろんなことができるのかもしれない。今の感情に従うなら、もう少し単純に、楽しそうな方向へ進んでみようと思った。

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