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今でこそでしか感じられない情熱

『アイスと雨音』が「We Are One: A Global Film Festival」というオンライン映画祭に選出された。

(6/12 4:30まで視聴可能です。是非。※日時間違えていたので修正しました)

今のご時世になった原因のそれのせいで舞台やライブが中止になったことでちょいちょいと話題に出しているのを見るたびに「いや、違うだろ」ともやもやと思っていた。

そしてこのオンライン映画祭。
選出していただいたことはとても嬉しかったし、世界中の人と同時に観れたことはとても貴重だった。開催して上映してくれたことには本当感謝しかない。

でも僕の中にあるもやもやはどんどんと大きくなっていた。

が、上映日の夜松居監督が「おまけの夜」出演した時に発した言葉で「やっぱり違うじゃないか」となったのだ。

チャットでの質問で

あらゆる舞台公演が中止になった今、『アイスと雨音』を見ると、なんと今見るにふさわしい作品であることかと思ってしまいます。
自分の創ったものが、ある意味で未来を予言してしまったことに対して、監督ご自身はどうお感じになっていますか?

とあった。この質問を見た時も僕はもやもやとしていたのだけども。

そこで出た松居さんの言葉は

今すごい舞台中止になったり、ライブ中止だったり延期だったりしていて、でもこれってずっとあったことだと僕は思っていて。
二年前自分にあったし、きっと自分達の知らないところで舞台は中止になったりしているけど、大きな理由というか、大きな原因が出来てしまったが故に、中止というものが今はすごく目にみえるようになってしまった、っていうのはあるので。
それこそだから「じゃあコロナ禍だからどういう表現するの?」みたいな話に繋がってくるかもしれないですけど、僕は今までも色んなことがあったしそういう中でその世界中の人にとっての、共通言語ってものが生まれただけにすぎないような気はしていて。
だから、でも僕が今コロナ禍だから舞台が中止になった、ってなったら、コロナのせいにしちゃえるから、悔しさの行き場所、いら立ちのぶつけ場所があるせいで、悔しくて映画にしようって思わなかった気がするんですよね。
あの時は、「お客さんが入らないから」っていうのもあったんですけど、なんか理不尽だ!っていう形が強くて
特別、未来を予言したつもりはないですね。たぶん今までの自分の他の作品が現在を象徴するようなものになったとしても。

というものだった。

そうだよ。今はハッキリと原因があるんだよ。目にみえるんだよ。理不尽じゃないんだよ。
だからこそ抗いたくなったんだ。今の状況は、全く違うよ。みんな「これのせいだ」って言いたいだけなんだ。松居さんの言う通り「共通言語」が生まれただけなんだ。

と、もやもやが否定的なことで晴れたのだった。

でも違くてもいいんだ、ってふと思った。

この作品は、成長していく作品だ。

『アイスと雨音』というタイトルは、当初「現実に戻ってこれる大好きなものからつけた」ものだった。(パンフレット記載)

いつしか、多くの観客が観ることによって、その理由が変わっていったのだ。

だからこそ、今この時期に多くの人が観ることによってまた、この作品はまた違ったものに成長していくのだろう。また違った作品に進化していくのだろう。変わっていくのだ。

なんでそう思ったのか。数年の時を経て、松居さんが、台本の一部を提示したのだ。

驚いた。
え、台本提示するの…?

「今みんなが足掻いてる。矛盾の中でいつか光が射すって信じるしかない。んかな。」
という言葉に、一度でも否定的に思ってしまった僕自身を恥ずかしく思った。言っていることは別なのだろうけど、どこか恥ずかしく思ってしまった。

矛盾の中で信じるしかない。抗うしかない。その抗いが、僕の心のどこかにあったのだろう。

僕はこうやって移ろっていく『アイスと雨音』が大好きだったんだ。忘れてしまっていた。今の状況と違ったって変わらない。違うことなんてない。観る人が増えて、色々と想う人が増えて、解釈が増えて、もしかしたらキャストのファンになったりもしたりして。そうやってまた広がっていくのだ。

「希望のようにも見える、夜明け。」

アイスと雨音の参考戯曲は、『MORNING』。
この一文がまた、『アイスと雨音』をより好きにさせてくれた。僕の心のどこかにあった夜も、明けた気がした

久しぶりに感じたこの高揚感、昂ぶり。今この状況・状態でこそでしか感じられない情熱

ネットって素晴らしい。オンライン映画祭って最高だな。今までとはまた別の感情・印象を知ることが出来たことがとても素晴らしかった。

心の底から『アイスと雨音』を、好きで良かった。ありがとう。

#アイスと雨音 #WeAreOne #映画祭 #松居大悟