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環境と外部不経済

今日は気候変動についての読書会でしたが、昨今の西日本地域の豪雨を考えると、明らかに変化が生じてきているのだと思わざるを得ません。現地の方々の窮状に思いを馳せながら、その一方でそうは言っても、例えば明日から一人一人が二酸化炭素の排出量を減らそう、という行動様式を取らないのは何故か?

様々な要因がありながらも、その一つの要因というか、根底にあるのは外部不経済、なのかと思います。つまり、取引当事者以外に不利益が生じる、これにより、当事者本人が意識を持てないのではないかなと。例えば、極論を言えば、私が環境保全を全く無視した行動を取っていても、このことが原因による気候変動の影響を直接、直後に受けることは、または受けていると感じることは少ないでしょう。でも、恐らくこれにより海抜の低い地域・国には明らかに不経済、不利益を与えている。でも、私には関係のない話、となってしまうようなことを指しています。これは時間軸でも同じ考えが適用できると思っていて、今日の私の行動は、恐らく私が地球にいなくなってから影響が出てくる、その為私は痛みを感じない、となってしまう。

もちろん、気候変動に影響を与えている環境破壊には、あまりにも多くの要因が存在しすぎることや、最終的な対策を打つ上では、国という枠組みで取り組むと利害が一致せず、京都議定書のような帰結に陥ってしまうということもあると思いますが、外部不経済は人間の根底に抱える問題、根深いなあと思ってしまうわけです。

では、私たちはどうするべきか?一人一人の行動がどれだけのインパクトを与えるのかは分からない、もしくは本当に小粒に過ぎなくても、やるべきと思います。それが、どこかの誰かに、未来の誰かに影響を与えるのだと、思いを馳せるべき、それが今は大事なのだと思います。



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