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ある受刑囚の手記1

その国に死刑という制度はなかった。
代わりに人としてあらゆる権利を剥奪されるのだ。
すべての衣類をはがれ、特殊な薬品を徐々に注入する首輪をはめられる。
まず二本足で立って歩くことが困難になり、手でものをつかむことも出来なくなる。
やがては人間らしい理性や感情もみな失われ、一匹のケダモノへと生まれ変わるのだ。

私もまたそうした受刑者のひとりだった。
卒業旅行で訪れたあの国で、トランクにまったく覚えのない禁止薬物が入っていたとして逮捕され、先進諸国では考えられないような駆け足の裁判の末、獣化刑を言い渡されたのだ。

自分に何がふりかかったのかもつかめないまま、私はケダモノになった。
受刑者としてすごした約3年。
その記憶はひどく曖昧だったり、ところどころ鮮明だったりしている。
最所の数日はただただ泣き暮らしたように思う。
道行く人に自分の潔白を訴えることもしただろうか。
もうとうに人の言葉などあやつれなくなっていただろうし、そうでなくてもあの国で受刑者の声に耳を貸すものがいたとも思えないけれど。

はっきり思い出せるのは、小鳥の鳴き声だ。
飲まず食わず、意識ももうろうとし始めていた。
道端にぐったりと横たわっていた私の目の前に、一匹の小鳥が舞い降りた。

必死で飛びかかった。
受刑者としての最所の狩りだ。
今思えば幸運だった。
どこをどうしたらいいかも分からないままかぶりつき、口の中でもがき続ける獲物をけして逃すまいと無我夢中で噛みしめ続けた。

そうだ、今こうして書いていても、私の口の中でひとつの命の力尽きる感触が生々しく甦ってくる。
その悦びも。

たまたまその時そばに他の受刑者がいなかったのも良かった。
ケダモノとなって最初のまともなエサを横取りされる恐れもなく、味わうことが出来たから。

たまらなかった。
それ以前に味わったどんな高級料理よりも。
思い出すたびよだれがこらえきれなくなりそうなほどに。
数日間の飢えを癒し、生きようとする本能がよみがえるのを感じた。

一匹のケダモノとして生きることを選んだ時だった。

私の名を別の場所で知っている人も多いことと思う。
野蛮な国の非人道的な刑罰から生還した奇跡のヒロイン、それが今の私。
奔走してくれた家族や友人、各人権団体にはもちろん感謝している。
彼らに勧められるまま、「表向きの」手記も出版した。
国際的な圧力に今ではあの国の状況も大きく変わりつつあるようだ。
公的には、私はそれを推進しようとする側の人間、そうした運動の広告塔ということになるだろう。

これから綴るのは、それとは別の、もっと個人的な回想だ。

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