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ある受刑囚の手記7・再掲

ここ数日、私は発情の時期を迎えている。
受刑者に投与される薬剤には、生殖能力を大きく阻害する働きもあって、ケダモノどもが勝手に数を増やすのを防ぐ目的でだろうが、おかしなものでそれでも身体は交尾を求めてしまう。

私の中のケダモノは今もオスを望んでいる。
人間の男性にはとても癒せまい渇きだ。
一度、冗談まじりにだが、性欲処理用にせめて大型犬でも飼ってはもらえないかと切り出してみたことがある。
二度とそんな提案はするまいと私でも思ってしまうような表情で拒絶された。

支援者たちが私を思ってくれているのは分かるつもりだが、彼らはどうも上品すぎる。

それなりに信頼性の高い統計では、あの国全体で受刑者のメスとオスの比率はだいたい1対3という。
女性に対しては最高刑は執行されなかった時代もあったというし、今は制度の上では「男女同権」となってはいてま、まだ過渡期ということらしい。
私の体感としては、メス1匹にオス5匹くらいだったように思う。

メスにとっては、1匹で5匹の相手をしなくてはならないということでもあったし、よりどりみどりということでもあった。
前に書いた通り、メス同士のケンカでこっぴどく打ち負かされ、おしっこをぶちまけられた時など、しばらくオスから見向きもされなくなることはあったが、そうでない時期に不自由をすることはまずなかった。

受刑者同士の交尾など、あの国でそれなりの都市を歩けばあたりまえに見かける。
それくらいいつでも誰かしらが盛っていたということだ。

具合の良い交尾相手は長生きさせて二度三度と味わおうという、本能的な打算も働くのだろう。
強いオスなら物理的な危害からお気に入りのメスを守ろうともするし、いくばくかの食餌を見返りに提供する者もいる。
ジーマや他の何匹かの、自力で生き残る術を身につけた有力な者は別として、多かれ少なかれ、メスにとっては交尾は生存のための手段だ。
私も3年間の後半ごろには、だいぶたくましく自立できていたと思うが、最初のうちはそうしたかよわいメスの部類だった。

その意味で気前の良かったのはデンだ。
オスにしては線の細い、どちらかというとたよりなさげなタイプだったが、すばしっこいのと目端が利くのとで、食餌には不自由していなかった。
自前の縄張り、エサ場や狩り場を持たないメスにはありがたい存在といえた。
それだけに競争率も高く、いつも何匹かのメスで取り合いだった。
2匹も3匹もを立て続けに、あるいは何匹かいっぺんに相手をするようなオスもいるのと比べるとだが、デンはあまり絶倫でもなかったのもある。

彼の後ろを大抵何匹かのメスがついてまわり、ちょっとしたきっかけでとっくみあいが始まるというのが毎度のことだった。
私も何度もそんな争奪戦に加わった。
ジーマたちとのそれと比べると、まるでじゃれあいのような可愛らしいものだったと思う。

二度三度と争いを勝ち抜き、何度も続けてデンとまぐわえるようになる頃には、自分で狩りくらい出来るようになり、彼からは離れていくというのがパターンでもあった。
多くの新入りのメスにとって初等科教師のような存在だったかもしれない。
私も彼からの「卒業」はわりと早かったはずだ。

それだけに彼との交尾のこととなると、今思い出そうとしても印象が薄い。
他のもっと強烈なオスたちを大型犬に例えれば、小型犬、それもまだ幼いの、といったところか。
実際のところ、私も彼との交尾でそういう意味での満足を得られたかというと、疑わしい。
半分以上、ことのあとでふるまわれる食餌のことばかり考えていたのではなかったか。

今のような時など、ついつい思ってしまうのは彼のことだ。
デンでもいいからここにいてくれたらと。

ある受刑囚の手記|藤沢奈緒 #note https://note.com/naofujisawa/m/mf176c1615f07


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