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何者どもかの夢の跡

【気になる短路線の旅】
〜京王競馬場線の巻〜

かの松尾芭蕉は、夏草の広がる古戦場に、剛のものたちが夢に散る情景を重ねていた。

夏草や 強者どもが 夢の跡

今日訪れた場所も、何某かの夢の跡を感じられるかもしれない。


まずやってきたのは、京王線の東府中駅。

ド逆光

私の知っている東府中駅は、地上駅舎の長閑な駅でしたが、橋上駅舎にお店も構える立派な駅になっていました。

急行停車駅なのですが、今のダイヤでは日中に本線系統に急行が走っていないので、実質各駅停車オンリーの駅になってしまいました。

2000年ごろまで、日中の新宿~高尾山口の速達列車は急行(東府中停車)だった。

今日はこの東府中駅1番線から。

2両編成のコンパクトな編成は

名車6000系最後の活躍の場も、今は7000系が活躍。

京王競馬場線の府中競馬正門前行き。

「府中」が縦書きなのは、幕時代からの名残。

競馬開催日はきっと賑わうのであろうこの列車も、平日の昼間はこの通り。

1両目(前)には私ともう一人。
2両目(後)はゼロ。ワンマンなので、車掌も含め、正真正銘のゼロ。

乗客2名を乗せた列車が発車します。

出発、進行!


右奥に延びる線路が京王線(京王八王子方面)。競馬場線は左にカーブを取る。
京王線と競馬場線は複雑な配線で双方に行き来できる。

一駅区間ながら、全線複線の立派な配線。

乗車2分で、終点・府中競馬正門前に到着です。

右に渡って、
右側の2番線へ。

広大なホームは10両編成にも対応。

10両編成の停車位置表示が対応であることを物語る。
駅名標
こっちは光っちゃうし、裏はド逆光だし。
とんでもなく広いホーム。
先端が遠い…
乗車位置先頭から振り返る。2両編成が遠くに見える。
東府中に向けて発車。この編成1本で運用している様子。

改札口も土日にはかなり賑わうことでしょう。

平日の昼間に見ると、完全にオーバースペック。
混雑する駅であることの証明。

今日はひっそりしている改札口に抜けて外へ。

競馬開催日は臨時の特急が走るらしい。

急行じゃないんだ…

縁起の良さそうな馬がお出迎え。

アハルテケってなんだろう…
競馬ファンなら当たり前の知識なんだろうか…

競馬場へは立派なペデストリアンデッキがありますが、今日は閉まっています。

この看板の裏に「KEIO 府中競馬正門前駅」あるのも撮ればよかった。

せっかくなので、競馬場まで行ってみましょう。

駅名の違い「東京競馬場」ですが、駅名の通り「正門」なので、作りが立派です。

府中本町駅方面に散策してみましょう。

策の上も競馬場モード
イチョウがきれいに色づいています。
「馬主役員」おぉ~

府中本町側の西門が見えてきました。

正門と比べると地味です。

開催日にはにぎわっているだろう飲食店もさびれて見えてしまいます。

西門から伸びるペデストリアンデッキは、JR府中本町駅につながっていました。

突き当りにあるのが府中本町駅ホーム。
病院に行くバスが競馬場を通るということか

ところで、今は京王の府中競馬正門前駅とJRの府中本町駅が東京競馬場の最寄駅ですが、1976(昭和51)年まで、もう一つの最寄駅、国鉄の東京競馬場前駅がありました。

ちょっとそこを目指してみましょう。

目印…ってわけではないけど、この建物の脇の道を進む。
突き当りかと思いきや
てか、ブルーサンダー来たよ♪
くぐって抜けられる。
ちょっと、なんだろ。深夜に来ない方がいいかな。
矢崎地下道という名らしい

矢崎地下道を抜けた先が、国鉄中央本線支線、通称・下河原線の東京競馬場駅跡地であることは、いろいろ調べた結果間違いない。

…のですが、あまりに痕跡や目印がなくてとまどってしまう

大きくて立派な公園は駅の跡地かとおもいきや
ようわからん

東京競馬場駅は、現在のJR南武線・武蔵野線の線路と直交する形で位置していたらしいので、この木立が駅(ホーム)の名残のようです。

かろうじてここが鉄道遺構であることを示す銅像
おそらくこのあたりがホーム端。
中央の茂みがホームの跡に見えなくないけど、どうなんだろう。

地図とネットの情報によると、下河原線の廃線跡は緑道として整備されているとのことだったので、ちょっと歩いてみましょう。

この幅からして単線かな。
街灯が架線柱に見えなくもない。いや、見えない。

少し進むと、左側から別の緑道が合流してきました。

分岐点で振り返ってみる。
向かって左側のカーブしている方から来た。

あとで調べて分かったことだけど、下河原線は中央線の国分寺で分岐し、現在の武蔵野線・北府中駅を通って南下し、ここで東京競馬場前に向かう旅客線と、下河原駅に向かう貨物線に分かれていたとのこと。

さて、先に進むのですが…

合流から先はほぼ直線。
少し幅が広くなったけど、やっぱり単線かな。

どうも、この緑道が下河原線の跡だと示すもの、銘板だったり、案内だったりが見当たらない。

上り坂が見えてきて、なにかと思ったら、


南武線とのオーバークロスでした。
気になる…
無人のベンチに積まれた古本
ラインナップが、なんというか
「これもらって、ラ・フランス。ちょうど食べごろなのよ」
という素敵なやりとり(盗み聴きのようで失礼!)

さっき、南武線とのオーバークロスを渡った脇にあった気になる建物が気になって寄り道してみました。

どうやら、こちらのお寺のようです。

先ほど見えたのはこちらのお堂。
観音堂とのこと。
門が立派
仁王像もなかなか
仁王像の裏にあたる位置にある像もなかなか。
「地蔵尊」とある。


もう一方の仁王像の裏側
「奪衣婆」とある。
水子供養

立派なお寺さんでした。

さて、戻ります。

進んでいくと、ようやく…

鉄道遺構である証明が現れました。

線路!

ささやかすぎん?

京王線とオーバークロス。
どうやら、京王線府中駅が高架になる前からここはオーバークロスだったようです。

そして、国道の甲州街道と交差。

ここを渡れないので、横断歩道まで迂回

ここにきてようやく鉄道遺構が緑道になったというしっかりした説明が得られました。

まるで駅のような造りだが、ここに駅はなかった。

そして、ここが緑道の端。


回れ右して、来た道を振り返る。

緑道はここまでなんですが、どうも道が続いているようなので、進んでみます。

右の建物は、ちょうど線路の跡に建てられたようだ。

抜けると道路にぶつかり、その道路も渡っていくと、

だいぶわかりづらいが、右から武蔵野線が伸びてくる。
高低差はあるが、合流としては無理のないアプローチ

ここが、今の武蔵野線とかつての下河原線が分岐する南側の結節点であることは間違いなさそう、という結論を得て、今回の下河原緑道散策は終了。

いやあ、よく歩きました。

京王線の府中駅に来ました。

昔からの特急停車駅として威風堂々とした雰囲気すら感じる府中駅。

レースのない閑散とした競馬場を見て回ったら、鉄道から緑道へと姿を変えながら、街の人の癒しになっている下河原線の痕跡をたどる旅へと発展しました。

街歩きの奥は深い。

競馬場 勝負師たちが 夢の跡


今回この記事を作成する中で、参考になり、また貴重な写真を掲載されているブログを見つけたので、参考文献としてリンクを貼っておきます。

廃線間もない、まだしっかりと線路が残る下河原線のスナップです。
かなり貴重なのではないでしょうか。

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