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高校1年生の頃、(ゲイの)男の子に好かれてたお話。

高校1年生の頃、僕のことが好きな(ゲイの)男の子がいた。
友達としてではなく、男として僕を好いてくれてる男の子がいた。

名前はQちゃん。男の子だけど、あえてQちゃん。

Qちゃんとは、おんなじクラスで、入学してすぐに仲良くなった。休み時間に話したり、勉強を教えてあげたり。遊びにも何回か行った。特別変わらない男子高校生の友情関係。


って思って仲良くしてた。

でも、だんだんめんどくさいなーーって思うことが増えてきた。

LINEは毎日来るし、やたらと貢いでくれるし、妙に家に泊まりに行きたいって言われるし。

中学の頃、男の子と性的な行為に至ったことがある、みたいなことを言われたこともあった。普通に冗談って思ってたから特別何も気にしてなかったが。


ただ、日に日に、Qちゃんからの絡みはエスカレートしていき、だんだん嫌悪感が芽生えてきた。友達からも「それやばいんやない?」って言われ出して、「いや、やっぱりやばいよなー」ってなっていった。


ちょっと距離を置くことにした。

というよりかは、突き放すことにした。

とりあえず毎日来るLINEが嫌だったからこう伝えた。

「おい、Q!まじでめんどいけもうLINEしてくんな。」
「なんでー?」
「まじでめんどくせーけ。」
「わかったー。」

最低な男の子が、純粋に好いてくれている女の子を、心無く突き放すくらいのテンションで言った。

でも、Qちゃんはなかなかしぶとい。次の日には、またLINEがきた。

「にゃおきーー!怒ってる?ごめんねーー!」
「まじでだるいお前。」

こういうやり取りが何度か続いて、LINEをブロックした。
教室でもずっと喋らないようにしてた。

そしたら数日後、

「これはLINEじゃないけ大丈夫ーー??」

FacebookとTwitterのDMからメッセージを送ってきた。なかなか賢い。






まぁそこから色々あって彼がゲイってことが発覚した。


Qちゃんがゲイだってわかった瞬間、僕はQちゃんを軽蔑した。

対象が自分であったってことが一番大きいけど
Qちゃんがゲイであること自体に対しても不快に思ったんだと思う。

自分自身が同性を好きになることに対して、全く理解できなかったから。


そして、彼とは2年生でクラスが変わるまで、避けるように学校生活を送った。結局、卒業までも話すことがほとんどなかった。
(ちなみに彼がゲイだからといって、イジメなどは誰もしていない。クラスのメンバーは普通に接していた。)




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それから時は経ち、大学3年生。僕は留学でアメリカにいた。

アメリカと聞くと、ニューヨークやロスなどの大都市が連想されるが、僕は田舎町にいた。とうもろこし畑に囲まれた人口7000人くらいの小さな町。

その町の中心部に「Backyard Market(裏庭にある市場)」って名前のかわいい雑貨屋さんがあって、学校終わりに僕はよく遊びに行っていた。

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お店には、いつもイケメンの店員さんがいた。
彼の名前はボス。

ボスはオランダ人だが、アメリカ人の奥さんと結婚して、アメリカにやってきた。そんなボスはほんとに優しくて、たくさん話を聞いてくれたし、話してくれた。(8割は恋バナだったけど)



あるとき、ボスに奥さんとの出会いについて聞いたことがあった。


「ボスは奥さんとどこで出会ったと?んで、どんな感じで恋に落ちたとー?」
「一目惚れだった。○○にあるバーみたいなところで出会った時に。」

そして、付き合うことになって、超遠距離恋愛を経て、結婚したとボスは言った。


バーで一目惚れして付き合って、アメリカとオランダで遠距離恋愛して、今は一緒に暮らしてるって。もう素敵すぎて映画かよって思った。僕もそのとき日本にいた彼女と遠距離恋愛をしていたから、とっても憧れるなーって思ってボスの話を聞いていた。


だから、奥さんについても色々聞いてみた。

「奥さんどういう人なのー」とベタな質問をした気がする。


そしたら、少し間が空いて、突然ボスからこう言われた。



「You always ask me about my wife, but I don’t actually have a wife, I have a husband.
(君はいっつも僕の奥さんについて聞いてくるけど、僕は奥さんいないよ。いるのは旦那さんだよ。)」



衝撃だった。超衝撃的だった。


あまりにびっくりにして

「Ohhh That makes sense!
(あーー、なるほどね!)」

って答えてしまった。
文脈的に、何もなるほどしてないのに。


別にアメリカでは、同性愛はそんなに特別なことじゃないし、そこまでビックリすることじゃないけど、多分バイアス的に自分の中で違う恋愛って切り分けていたんだと思う。

同性愛も異性愛も別に何も変わらないことを体験的に思わされた。

そこから、日本に帰るまでボス以外にもたくさんの同性愛者に出会った。バイセクシャルの人もいた。ストレートだった女の子の友達が、ある時、レズビアンの女の子に恋をして、付き合い始めたこともあった。

でも、彼らがゲイでもバイでも、トランスジェンダーでも、彼らとの人間関係は何も変わらなかった。


Qちゃんの件から、苦手意識があった同性愛やLGBTQみたいなことに対して、抵抗がどんどんなくなっていった。というか抵抗を持つ自分が嫌になっていった。

自分には理解できない感情を持つ人間を否定しがちな人間だったけど、だんだんと違いを尊重できるようになっていった。




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そして、僕は今東京にいる。本当に多様な生き方をしている人が多い。住む場所を転々とするアドレスホッパー、フリーランスで稼ぐエンジニア、日本が大好きなアメリカ人、そして普通のサラリーマンも。出会い系で遊びまくる友達もいれば、一つの愛を信じて結婚したクリスチャンの友達とも遊ぶ。

昔だったら頭ごなしに否定したくなる価値観や性的嗜好を持つ人と話すことも多い。まぁ正直、理解できないなーって思うこともある。

でも、理解できなくても、否定はしないし、できる限り尊重しようって思えるようになった。そして、そうしてる。

かなり多様性を認めることができるようになった気がする。




今、高校1年生の頃に僕を好いてくれたQちゃんは、何をしてるか知らないし、もうずっと会ってない。
今後も会うことはないかもしれない。

当時は、ほんとに不快に思ってた。
もちろん「LGBTQを尊重する=自分が同性愛者からの対象になっても問題ない」
は全く違うことも理解してる。それはイコールじゃない。

ただ、多様な経験を与えてくれたQちゃんには感謝してるし
彼がゲイであること自体を不快に思ったことは、良くなかったなーと思ってる。

当時はちょっと申し訳ないことしたなー、関係性を切らない方法もあったかもなーって反省してる。


そう振り返ると、Qちゃんやボスとの出会いが、自分に大きく影響を与えてくれたと感じる。他人の多様性を認められるようになったプロセスには、彼らとの出会いが本当に大きい。そして、何より自分自身の多様性にも、影響を与えてくれた。

異性愛にしろ同性愛にしろ、もっと多様な人間関係が認められる時代がくればいいなーーって。

そういう風に思えるようになった今を実感させてくれるQちゃんやボスには本当に感謝だなーーて。 

自分の変化にふと気付いて、今回noteを書いてみた。





てことで、「自分ももしかしてゲイかもな」って思って、今日ネットでセクシャリティ診断を行いました。


超ストレートでした。

僕は女の子が好きみたいです。

おしまい。


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