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歌を歌う時、ぼんやり歌ってはいけない。

昨日のつづきです。この一ヶ月色々な方とお話した感想をまとめています。

感情についての考察。


私は以前から、書いているのですが、感情の浄化というのは、やはり大事だと思います。私は十代の頃から思いがけず、感情を浄化するということをやっていました。演劇のワークです。

怒りを持った人間の役を演じる時、「怒る」ということを意識的に表現する必要がありました。身振り手振りを加えて、観客に「このひとは怒っているのだな」と伝える必要があります。

私はもともと、感情が乏しく、大人しかったので、感情が自分の奥深くにねむっている事にすら気づかなかったのです。ですが、「怒る」ということを意識的に行うと、自分の内側の深いところに「怒り」があることに気づきました。

人は普通、苦しいとか憂鬱な気分には自覚的ですが、怒りを抱えていることには無自覚です。

それも幼い頃から、「良い子」を演じてきた人間にとって、自分の中に「怒り」があるということを認めるのはなかなか難しいです。

普段、私たちは自分の感情を抑圧しています。なぜなら、両親や教師たちに感情を出さないよう──行儀良くするように教育されてしまったからです。

私は大学で偶然出会った演劇によって、感情を浄化することを知りました。私の演劇仲間たち──ほんとうに演技が好きなひとたちは、大人しいひとが多かった。でも、彼らは一度演技をすると、喜怒哀楽を大きく表現します。

彼らは演技をすることで自分を癒しているのだな、と感じたものです。実際、演じることにはセラピーの力があります。

演劇においては──舞台上においては、大声をあげて泣いても良いし、怒っても良いのです。だから、私は演技をすることに惹かれたのかもしれません。演じることには、カタルシスがあります。

ですが、私たちは社会的な生き物です。怒りを公共の場でぶちまけるわけにはいきません。私は「怒り」や、「不安」を感じる時、それらの感情を抱きしめながら、意識的に深く呼吸します。あるいは、もっと手っ取り早く、ウォーキングやジョギングをします。

そうすると、酸素がたくさん体内に入ります。酸素の中には「プラーナ」という生命エネルギーが含まれており、これが感情を浄化してくれるのです。

また、ミュージカルもやっていたので、歌を歌うこともしていました。ミュージカルの中で、登場人物が歌を歌う時というのは、感情が極限まで高まった時です。大切なひとを喪失した時など、とても悲しい気分になります。登場人物はその悲しみを歌い上げるのです。

最近はめっきり通わなくなったのですが、私は学生の頃、よくカラオケに行っていました。カラオケでは大声を出しても良いのです。むしろ、大声を出すことを合法的に許可されている場所です。マンションやアパートに住んでいる場合、近所迷惑になりますよね。

歌を歌う時、やはり、息を深く吸い込みます。呼吸が深くなるのです。そして、悲しみや怒りが浄化されていくように、歌うことに100パーセント意識を注ぎ込むのです。

ぼんやり歌ってはいけません。中途半端ではいけないのです。あなたは歌手になりきらなければいけないのです。

身体の中でブロックされていた感情が浄化されると、エネルギーの循環が良くなり、瞑想をしやすくなります。

思考というのは、元に感情があります。感情が浄化されると、思考が静かになります。

それは雑草のようなものです。

地上に生えている草が思考で、根が感情です。雑草は根からぬかなければなりません。

感情を癒し、思考に気づくというのは、「草むしり」のようなものです。自分の庭を整理すると、すっきりします。そして、静寂が表れるのです。

明日で最後にします。明日はノンデュアリティー(非二元)について書きます。


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