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今更ながらの自己紹介


 僕は長野出身の母と東京出身の父の元に生まれた。場面緘黙という言語障害の一種を患っていて、家から外に出たら一言も話せなくなり、地蔵のように固まってしまう子供だったので、保育園を退園し、小学生になる6歳まで、母の実家のある長野で暮らしていた。

3歳の頃。


 小学生になったからと言って場面緘黙は治るわけもなく、教室で孤立していたけれど、何人かの心優しい生徒が話しかけてくれたおかげで、学校に通うことができた。どこか学校のことを馬鹿にしていて、「前へ習え!」とやっている周りの児童を見て、気味の悪ささえ感じていた。

 学校の成績は良かったけれど、前述したとおり、場面緘黙なので、手を挙げて発言をできない。だから、態度の面で、減点をされていた。このことに腹を立てた母が学校に抗議をしたのを今でも覚えている。

 中高の頃が人生で一番つらかった。僕は教室という空間にどうしても馴染むことができなかった。軽いイジメにもあった。高校の頃は満員電車で通学していて、ぎゅうぎゅう詰めになったサラリーマンたちが喧嘩をしているシーンを何度も目撃して、社会人になることに対して身を持って悲観的になった。

 変わったのは大学生になってからだった。新入生を歓迎するオリエンテーションで偶然、ミュージカル・サークルに勧誘され、そこから人生が激変した。大学デビューではないけれど、大人しい自分が嫌だったから、茶髪に染めて、無理やりにでも、自分を変えようと思った。結果、変わった。

 専攻したのは英語だった。中学生の頃から英語だけなぜか飛びぬけて成績が良かった。そして、大学を卒業するまでに英語を話せるようになりたい、と思っていたので、外国語学部に入ったのだ。

 でも入ったら様相がちがった。周りは帰国子女ばかりで、そもそも英語を話せるひとがより高度なレベルで英語を使うところだった。僕は挫折と疎外感を感じた。でも、中高の頃とは比べものにならないくらい友達が増えた。

 さらに、良くしてもらった学科の教授がシェイクスピアの専門で、その先生に誘われて、そこでもまた演劇をやった。演劇をやる運命だったのだ。演じる、というのはとても自分の精神衛生に良かった。ある種のセラピーのような役割を果たしてくれたように思う。

 アメリカに交換留学もさせてもらった。単位にはならなかったけれど、演劇のクラスを受講した。その頃、ぼんやりと「役者になりたい」という思いが出てくる。でも、両親はぜったいにゆるしてくれないだろうと思っていたので、そのことをアメリカ人の友人に相談したら、

 その友人は僕にこう言った。

 Parents don't live your life.
(なあ、お前の両親がお前の人生を生きるんじゃないんだぜ。)

 彼の言葉に背中を押されるかたちで、帰国した後、僕はオーディションなどに応募していたけれど、日本にいると、夢を追うよりももっと現実的な生き方をしなくちゃ、という気分になってくるので、一応就活はした。でも、まったく身に入らなかった。

 結局、両親と問答の末、演劇学校に入った。(母は泣いた。せっかく良い大学に出させて留学までさせてあげたのに、と)

 でも、その学校に通い始めてすぐ、演技をすることに興味がうすれた。自分がやるべきことはこれじゃない、もっと別の何かがあるはずだ、と思った。それで、三ヶ月した後、僕は作家になりたい、と思い始め、大学に戻って図書館に通い詰めた。

 小説を読むべきだったのだけれど、僕は物語を読むよりも、自然にスピリチュアルな本に手が伸びた。大学の図書館にはAmazonや本屋、市民図書館ではお目にかかれないような、世界中の聖典、神秘主義、精神世界の本がたくさんあった。そのなかで、僕は瞑想とヨガのことが書かれている本に出会い、それに夢中になった。

 それと同時に本の読みすぎで、強迫性障害になり、紹介された施設で療養することになる。そこには色々な境遇のひとがいて、彼らのお陰で、「勝つことによって、上昇する」志向から、「負けても良いから他人を愛する」ことを学ぶ。

 そこで、人と関わり、土にさわり、花を育てたりしているうちに回復していった。そして、毎朝、東京から持参した本を参考にしながら、ヨガをしていると、ある日の夕暮れ時に、ワンネス(一瞥)体験をし、この宇宙は全ては一つで完全な愛そのものなのだ、と気づく。

 一年後、そこの施設を去る時、管長的なひとに「あなたはひとを救いなさい」と言われる。また、「あなたの病気はひとと関わって、ひとを助ければ治る」と言われる。

 けれど、東京に帰ってきてから、疫病の流行と共にアトピーと乾癬を併発し、ほとんど動けなくなる。温泉治療によって治るのだけれど、その間、「何もしないこと」を学ぶ。

 そしてベッドに横になりながら、禅の修行のように、天井とか壁をただただ見つめていると、「いまここに全てが在る」という感覚がでてくる。

「天井がある!」、「壁がある!」、ということに気づき愕然としはじめて、「今ここに在る」だけで良いんだ、と思えるようになる。

 やがて、「何も持っていないけれど、自分は幸せだ」と感じはじめる。「幸せだな」と感じている時の身体の感覚を調べてみると、意識が胸のあたり(ハート)にとどまっていることが分かる。そして、自分の人生は魂がハートに帰るための旅路だったのだ、と知る。

          *

 今、僕は何も持ってない。恋人もいなければ、肩書だってない。身体も弱いし、お金だってない。実家の家業を手伝っているけれど、ほとんど赤字で利益なんてない。たまに中学生の頃お世話になった塾で英語と国語を教えて、何とか生きているだけだ。

 だから、僕はどうやったら、人生で多くの物を得ることができるか、ということは書いていないし、実際によく分からない。それでも不思議なことに「あなたの文章に救われました」というひとがおられる。

 そのメッセージで僕は小さな確信を得たものだ。「ほんとうの幸福は何かを得ることではない」ということを読者の方に再確認させてもらったように思う。

 全てはハートだ。それだけなのだ。ハートをひらいて、毎日を生きるということだ。

          *

 今日、家に飾られていた白い百合の花が咲いた。今まで見たことのないくらい、大きく花ひらいたのだ。

 僕はその花をじっと見つめていた。視覚で見たというよりも、ハートを通して見つめていたのだ。ああ、幸せだな、と感じた。理由は分からない。愛、としか言えない感情だった。そして、その花は自分のハートの中の花と互いに呼応していた。





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