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今、世界でいちばん幸せ。

最近、自由意志なんてものは存在していなくて、脚本通りにそもそもの始まりから、全部決まっているのかもしれないな、と思う、

それを知ることだけが唯一の救いなのかもしれない、と思う。

人生のほとんどは自分の思い通りにはならない。生まれた国も地域も親も兄弟も決めていないのはみんな同じだ。

習い事や、通う高校などは自分で選んできた……ように見える。でも──もし、僕たちが自分で選んだと思っていることが自分の意志ではなくて、宇宙的な何かの意図によって、選ばされている、としたら、僕たちができるのはただ、起こってくるできごとを素直に受け止めることしかできないのかもしれない。

もし、将来起こることが全て決まっているとしたら、重荷が減る。そして、これまで人生で選択してきたことが最初から決まっていたとしたら、後悔も減ると思う。

演劇に熱中していた頃がある。演じることが大好きだった。舞台上で、他の登場人物と会話したり、愛し合ったり、憎み合ったりして、二時間が過ぎる。

役者たちは舞台上で何を行うのか事前に知っている。セリフも行動も決まっている。役者たちはシナリオを書き変えることはできない。与えられた役割を淡々とこなしてゆく。

舞台上で王様だった者もお金持ちだったものも、あるいは、病める者も、貧しい者も二時間が過ぎれば、誰もいなくなる。みんな平等に。

ラマナ・マハルシは「人生で起こる出来事は全て決まっている」と言っていた。それは些細な事──たとえば、僕が今、この文章を書くことも、あなたが今、この記事を読むことすらも。

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現在、八七歳の祖母は幼い頃に両親を亡くし、親戚の家に預けられ、ろくに食事を取らせてもらえなかった。嫁ぎ先でも、結婚相手の祖父に暴力を振るわれたり、姑からのいじめを受けて、幸福を感じ始めたのは、還暦を過ぎてからだとよく言う。それまでずっと我慢をし続けた。

父はモーターレーサーになりたかったけれど、家業を継ぐため、それを諦めた。家業から逃げようとするたびに病気になった。

母は、キャビンアテンダントになりたかったけれど、実家が貧乏だったため、大学に通わせてもらえなかった。だからその夢も諦めた。母は今でも、Youtubeで一生乗ることは無いだろうファーストクラスの搭乗記を夢中になって観ている。

バイクレーサーになる夢も、キャビンアテンダントになる夢も、自我では計り知れない宇宙的な流れ(縁起)の中では押しつぶされ、流されてしまう。

自分や他人をゆるす時、この宇宙的な視点が必要なのだと思う。

全てはただ起こっているという視点。

今、あなたはどんな後悔をしているのだろうか?

もし、自由意志が存在しないのなら、後悔はどこに存在するのだろうか?

それは舞台上の役者が自分の言ったセリフや行為を後悔するようなものだ。そんなことはありえない。なぜなら、それは脚本に書いてあったのだから。

結局、僕たちは宇宙の流れに抵抗するか、それともそれを受け入れ、愛するか、の二択しかないのだと思う。

Naokiと呼ばれている人間は多くの苦しみを経験してきたし、これからも経験するだろう。

そして、それを避けることはできないだろうと思う。

最近、季節の変わり目だからか、喘息で体調が悪い。でも、その苦しみを━━息苦しさをハートから愛している時、そこにはある種の甘美な痛みがある。

不思議だけれど、子供の頃から、痛みを抱きしめる習慣があった。発熱し、喘息の発作が起こった時、命の儚さを感じる。そして、まさにその時、宇宙全体に愛が広がるほどのエクスタシーに我を忘れる。

吸入剤を吸い込み、気道がひろがると、胸いっぱいに空気を吸える。呼吸をするたびに愛があふれて涙が出そうになる。その時、「ああ、自分は世界で一番幸福な人間だな」と思う。

金もないし、友達も恋人もいないのに、呼吸をするだけで幸せだと感じる。そして、世界中の人々にこの愛を分け与えたいと思う。世界のために祈れるのは、自分を一番小さくした人間だ。

僕たちはある運命的な理由によってこの太陽系第三惑星に生まれ、その理由も知らされず、ただ生きている。性別も、身体的特徴も職業も何もかもがちがう。

でも、一つだけ共通して持ち合わせているものがある。それはハートだ。心だ。

結局、どんな境遇の人生も、最後には、道端に咲く花を見て、幸せを感じるかどうか、と言う心の在り方だけを━━ハートの中の無条件の幸福を見つけ出すことだけを魂は求めているのではないだろうか?

道端に咲く花を愛おしいと思える心だけをこれからも持ち続けたい、と思うし、その心を失ってまですべきことなんてこの世には存在していないと僕は信じている。

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