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待つこと、与えること。

今日は男性のX様とお話をした。

X様は現在、金銭面での心配がある。会社で働くことが肌に合わず、自営業をされていたけれど、それにも行き詰まりを感じ始めた。

話を聞いていて、僕はX様は創作好きの感受性が高い方だと思い、X様の芸術作品をSNSを通じて販売し、収入を得たらどうでしょうか?と言った。

X様は確かに、それを考えている、しかし、その作品を売る準備をして、いざ売ろうとなると、心理的なブロックが行動を堰き止めて、売ることができない、とおっしゃっていた。

行動したくてもできない、という時、僕は二つのパターンがあるように思う。

一つ目は勇気がでないこと。

二つ目はまだそのタイミングが来ていないことだ。

それを探るために話を深めることにした。

自分の恥ずかしい部分、ダメな部分を正直にSNSでさらけ出せば、X様の優しい人柄を気に入って、作品を購入するひとが出てくると思います、と僕はお伝えした。

X様はそれを理解されていた。それでもX様は行動できなかった。X様は以前にも作品を売っていた実績があるので、売ろうと思えば売れるのだ。

だから、僕は「まだ、タイミングが来ていないのだと思います」と言った。

X様はハートで生きる人間だ。ハートで生きる人間は「今だ!」というタイミングが来ないとなかなか行動しない。

だからこそ、僕のnoteにたどりつかれたのだと思う。

幸いなことにX様の配偶者をはじめとするご家族はX様の現状を理解してくれている。

だから、今のところ、「待とうと思えば待てる」のだ。

でも、なぜX様だけではなく、多くの方々が「待つ」ことができないのか、というと、思考、不安と恐怖が「今のままではダメだ!とにかく何かしなければ!」とプレッシャーを与えるのだ。

X様は完璧主義的なところがある、とおっしゃっていたのだけれど、完璧主義というのは、「完璧ではないと受け入れられない」という不安が大きいのだと思う。

不安や恐怖というのは、下位のチャクラに関係している、とお伝えした。すると、実際、X様は第二チャクラに関係する病気を患っておられた。

偉そうに僕はX様に色々なことを伝えているけれど、自分も何日か前に、このzoom対話の活動を今後どうするかについて多くの方にアドバイス頂いた。でも、結局、態度を保留している。

この宇宙で起こる出来事というのは、タイミングがあって、それは自分の意志とは関係なく起こると思っている。そのタイミングがまだ来ていないのだ。

「こうすればいいんだ」というのがハートに来る。でも、その「指令」のようなものが来ない間は待つしかないのだ。

そのひとにとってベストのタイミングが来たら、自然に物事が起こる、ということをX様にお伝えしたら、「分かります」とおっしゃっていた。

X様はご家族の理解があって、待つことができるので、幸せだと思います、と伝えた。すると、X様は笑っていた。

僕はX様に「今までもうダメかもしれない状況が何度もあったはずなんですね。でも大丈夫だったからこそ今生きているはずです」と言うと、X様は頷かれていた。

待っている間、というのは、何もしないというわけではない。

X様に「待っている間、ご家族と楽しい時間を過ごしてくださいね」と言った。

僕は深刻になるのが好きではない。

後は、発信をすることとか、タイミングが来るまでにできることを淡々とすれば良いのだと思う。そして、時には勇気を出すことも必要だ。

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ところで、もし、人生を良くしたいと思うのなら、僕は「与える」ことをすると良いのではないか、と思う。

もちろん、「あなたは、ありのままで良いんだよ」、というスタンスは崩すつもりはない。

ただ、人生が苦しくて、少しでも楽になりたい、人生のちがう景色を見たい、と思うのであれば、「もらう」ことよりも「与える」ことの割合を増やすと良いのではないか、と思う。

宇宙法則的に、「与えるものが返ってくる」というのはあると思う。

実際、みんな苦しいのだ。みんな大変な思いをして日々生きている。

その上で、ただただ苦しい人と、苦しくてもやっていける人のちがいは何かと考えると、

後者は意識が他者に向いているのではないかと思う。

もし、苦しみを抱えながらも、誰かを助けたり、何かを与えたりすることができたら…。

きっと変化が生じる。

できる範囲で、「自分は何を与えられるだろう」ということを考えることも大切なように思う。

X様が自分の芸術作品を売るということがしっくりこない、とお話されているのは印象的だった。

僕もこのzoom対話をして料金を取る、ということがまだしっくり来ていない。

でも、自分が持っているものを「与える」ことをして充実した感覚が出てきている。

「お金」というのは「与える」ことの先にあるのかもしれない、と僕は思う。

つまり、お金と言うのは、ただの交換の手段であって、それに先立って存在しているのは「気持ち」だ。

このひとに感謝の思いを伝えたい、と言う思いの先にお金があるのだと思う。

誤解を恐れずに書くと、「もらう」ことばかりを期待している時、苦しみが生まれるのだと思う。

X様も僕もこの資本主義社会の競争は生き残れないのだと思う。

でも、少なくとも、何かを与えることはできる。X様は作品を売って、お金を稼ぎたいのではなくて、本当はお金の前に先立つ「心を動かすような何か」を世界に与えたいのだと思う。

結果的にそれがお金になるのだ。

お金がないのに、何もやる気が起きない場合、まず自分が持っているものを世界に与えることを考えてみると、変化が生まれるかもしれない。

純粋なハートの持ち主に恩寵は降り注ぐ。

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