海外ドキュメンタリー BS1スペシャル「改善か 信仰か~激動チベット3年の記録~(後編)」を観て

まずは後編の要約です。

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2017年4月、再びチベットを訪れると、高速道路が建設中だった。チベットの「改善」が急速に行われていたのだった。「改善」から半年が経過したラルンガル・ゴンパ(五明佛学院)はどうなっているのだろうか。

大地の至る所に、共産党のスローガンが書かれてある。「党の恩に感謝 祖国を愛し 豊かな社会へ」「各民族は一緒に呼吸し 運命を共に 心を一つに」

ラルンガルの正門にはいると検問所が作られていた。入口には警察が常駐し、人の出入りを監視していた。僧院の姿も大きく変貌していた。修行僧の小屋が一部取り壊され、多くの僧侶が行き場を失っていた。抗議の自殺をする尼僧たちもいた。その取り壊し作業をしているのは、当局(中国共産党政府)に日当5000円で雇われたチベット族の労働者だった。

「彼らは取り壊すといえば取り壊すのです」「集まれば散らばり 高まれば堕ち 生きれば死ぬ これは無常ですよ」「諸行無常から理解するしかない」4000戸の小屋が取り壊され、1万人いた僧侶のうち5000人が寺を追われた。

ツェテン・トゥンドゥプ氏が住んでいた小屋には別の僧侶が暮らしていた。ツェテンの行方はわからない。

ラルンガルの入口に改善の計画図が掲示してあった。僧院の中央には大きな通りが作られ、観光客が僧院を見下ろすための展望台、そして展望台に上がるための大階段が9つも作られるとのことだった。スタバ風のカフェもつくり、外国人観光客も誘致できる、徹底的な僧院の観光地化が計画されていた。

中国内地から、漢族の観光客が増え始めていた。しかし彼らはチベット仏教には興味はないという。ただ美しく珍しい風景を楽しんでいるだけのようである。

僧院の裏の牧草地に、有刺鉄線に囲まれた真新しいプレハブ住宅が建っている。ここは行き場のなくなった尼僧たちが一時暮らすところである。

僧侶が漢族の観光客を木の板で殴る、ちょっとした事件があった。今までの怒りが向けられてしまったのだった。幸い観光客の怪我は軽傷で済み、僧侶は謝罪した。そして他者を傷つけたことで戒律を破ったといい、僧院を去った。

かつて数万人の修行僧が集まり、高僧による灌頂会が行われた中央の会場で、もう法要が行われることはなかった。

修行僧のプンツォ・タシ氏は僧院に残っていた。だが、僧院に大きな悪影響を与えるので、何も口外できないという。アメリカのオバマ大統領のポスターはそのまま壁に貼られていた。そして僧院の高僧の講義をインターネットで世界に配信し続けていた。

プンツォの両親が相次いで亡くなった。プンツォは、「両親は生前、修行を行っていた。亡くなる時、とても穏やかだった」と語る。父はに土葬にされ、母は本人の希望により鳥葬とされた。「母はラルンガルで役に立つよう、体をハゲワシに与えて欲しいと言った。仏教徒が現世を生きる価値は、他者のために役立つことです。母の選択でした」この世の最後まで他者のために尽くし、魂の輪廻転生を信仰していた父と母だった。

刻々と変わりゆくラルンガル・ゴンパ。プンツォはただ、千年続く仏の教えを発信し続けた。「私はただ、チベットの文化を発展させたいという希望を持っています。チベットの伝統や文化を守る僧侶の役割は大きく、責任は重大です」

2018年1月、中国共産党は「貧困撲滅宣言」を改めて発した。年間6兆円もの金が、中国の貧困の地に投じられた。目立った産業のない標高4000mの地に空港が建設され、道路幅が拡張され、4000m級の山を貫くトンネルが次々と掘られるなど、辺境の大開発が行われた。こうしてチベットの天険の要害が次々と突破されていった。

中国共産党の高官は語る。「中巻人民共和国の建国以来、チベット人の意識を変えていきました。より開放的な考え方を持たせ、現状の発展を理解させます。古い習慣などは廃止させ、より良い方向に発展させます。彼らの迷信や遅れた思想を変えるのが目的です」

遊牧民の集約と移住も始まった。その名も「脱貧困村」。同じ形のチベット風住居117件が政府の金で作られた。政府はここに520人あまりの遊牧民を移住させた。しかしここに祈りの施設はない。

貧困撲滅弁公室の幹部は語る。「高原の遊牧民は生産性が低く金儲けの意欲が足りません。ここに移住した貧困者は産業の発展と現金収入を得るチャンスに恵まれます。金儲けの熱意を奮い立たすことができます。」

移住民は大人も皆、農民夜間学校で中国式の教育を義務付けられている。学習内容は党の宣伝部によって定められていた。ここで子供も大人も、中国社会に適応するための愛国者教育、党への忠誠心などが教え込まれた。

脱貧困村の書記は語る。「村民は幼いころから勉強不足で文化や知識が貧弱です。国家の政策を学び、民の思想が大きく変わりました」

脱貧困村の家には、習近平国家主席の大きな肖像画が飾られている。これは義務であった。

「改善」はチベットの子供達にも行われている。子供たちを親元、つまり伝統的なチベットの暮らしから離し、寄宿舎生活をさせて中国に対する愛国心を教えていた。生徒たちは周辺の遊牧民の地域から幅広く集められ、将来は地域の先駆者となることを期待されている。チベットの子供達に対する教育は、思想にまで及んでいる。

小学校の校長は語る。「生徒には思想の品位を育て、良い生活習慣を身に着けてもらいたい。彼らが有利な条件で人生を歩めるよう教育します」

観光地化が進むラルンガル・コンバ。かつてお経が聞こえたチベット仏教の聖地には、建設工事を行う重機の音が響いている。

僧院を追われたツェテン・トゥンドゥプ氏は実家に帰っていた。1000人あまりの僧侶は残れたが、ツェテンは残れなかったという。この家にも習近平の絵がかけられていた。これは村の役人が持ってきたという。

中国が行うチベットの「改善」について、さらに深く掘り下げる。ラルンガルにさきがけて、聖地・徳格(デルゲ)印経院でも「改善」が行われた。ここは300年にわたってチベット族が礼拝を続ける信仰の場。ここにも多くのチベット族が巡礼に訪れる。

ここには6万枚の経典の木簡が保存されている。ここにはチベットの文化の書籍と経典がすべてある。この木簡は今も刷られて僧侶達の経典となっている。この信仰の遺産に当局は目を付けた。観光地化に向け、文化立県のスローガンを掲げ、世界文化遺産登録を目指している。

売店ではその文化が商品にされている。木簡から刷り出された経典の教えの束が、5万8千円で売り出されている。そして3000室もある大型ホテルも建設されている。古くからの信仰の時間が流れていた徳格の町は、建設ラッシュで大きく変貌しようとしている。

「政府から、豊かになりたいならまず道を造れ、と指示がありました。貧困脱出の観光地化に大きく動き出します。

15年前の徳格(デルゲ)の印経院の周りには大きな建物は一切なかった。古くからの信仰の時間が流れていた。

「観光産業のインフラを充実させ、観光収入を増やします。貧困地域の生活レベルと質を向上させます」

徳格(デルゲ)のテレビ局での壁には、「我々の神聖な使命は 共産党施策の”喉と舌”となる」と書かれてある。ここでチベット族の遊牧民出身の女性・洪雲霞(コウウンカ・28歳)が副局長として活躍している。貧困から脱するため、中学から漢族の教育を受け、専門学校を優秀な成績で卒業し、テレビの仕事についた。2年前、待望の共産党員になることもできた。「テレビの仕事をするものは、皆、党員になりたい。マスコミの仕事は党の”喉と舌”です。入党は基本的な条件です。私たちは党が決めた法律や政策を宣伝します」数少ないチベット族の党員である。その際、チベット族の証ともいうべき信仰を捨てた。共産党員は宗教の信仰が認められていないからだ。「今、チベット族の考え方が大きく変化しています。私は生きていく限り、自分の価値を高めたい。職場で自分の存在を示すだけでなく、生きがいを追求したい。どんなことも頑張り、高い目標を目指します。チベット語のほかに、中国語は必須です。私たちは漢族化しています」

2018年12月。プンツォ・タシ氏は、ラルンガル・ゴンパから姿を消し、600キロ離れた人口200万の大都市・西寧に流れついていた。突然、僧院を出るよう通告されたという。その後、何があったかは多くを語らなかった。ラルンガルに戻れる見込みはないとのことだった。「仏教は、人の心の力は宇宙で最も能力があると説きます。人が心で真剣に望み、祈り続ければ、世のすべてのものを変えられます。自分の信念に確信を持ち、努力して対策や方法を探すべきです。そうすれば必ず道は見つかります」

ツェテン・トゥンドゥプは語る。「多くの人は”現世が非常に大切”と考えています。それでは執着・欲望・煩悩に苦しみます。仏は来世が重要と説きます。その教えの信仰が大切です。この世で私はたいした役にたちません。しかししっかり修行すれば来世の役に立つはずです。菩薩心、慈悲の心を得れば、多くの衆生に役立つと信じています」

ツェテン・トゥンドゥプには新たに姪が誕生していた。

2019年1月。ラルンガル・ゴンパ(五明佛学院)の観光地化の工事はさらに進んでいた。観光客向けの階段が完成し、大型宿泊施設が建てられ、大型ショッピングモールが建設中だった。

チベット族にとって、現世と来世をむすぶ聖なる場所・鳥葬場も整備が進む、多くの漢族の観光客が押しかけていた。千年もの間、過酷な環境の中で生きてきたチベット民族が受け継いできた信仰の世界、それが3年の間で、人を集めるための観光資源となっていた。

国家の意思が、民族の精神世界さえも変えていくものなのか。その答えを知るものは、まだ誰もいない。

キャプチャ

東アジアの風土と民族











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