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デジタル技術でマンガはキレイになりすぎた。

専門学校のマンガコースで講師をしていた時「デジタルで描くと誰が描いても同じ線になっちゃうよね~」と冗談ぽく話を振ってみたら、何人もの学生さんが深くうなずいてくれてびっくりしたことがあります。

その中のひとりと「あえて味を出すために設定をいじるんだけど、それもなんだかね」「だったらアナログで描けって思うよね」なんて盛り上がったのですが、今の若い子たちも同じこと感じているんだなと思いました。

私はマンガを描く上で「自分の限界をカバーする創意工夫」や、「失敗から生まれる偶然性」ほど面白いものはないと思っています。

20年ほど前、マンガ原稿用紙につけペンで描いてスクリーントーンをペタペタ貼っていたころのことです。
難しい構図や人物のポーズなど、自分では簡単には描けないものをいかにごまかして描くか試行錯誤する中で、より斬新で面白い画面が生まれることがありました。
時間がないからと手抜きしたら返ってそれが味になったり、つけペンのインクが飛び散ったのをごまかすためにベタ塗りしたら自分でもおどろくような新しい表現が生まれたり…私の脳が想像出来る範囲を超えたものが生まれるのは、いつもそんな場面だったのを思い出します。

初めてペン入れから全てデジタル制作したマンガは、とてもキレイに描けました。線の太さもそろっていて、自分の思い通りの画面にかなり近づけることが出来たと思いました。
ところが、それが雑誌に掲載されたら線に迫力がなく、個性も薄れて見えてしまいがっかりしたのを今でもハッキリ覚えています。

コピペ、拡大縮小、写真からの線画抽出、3Dモデルの活用…そして何度でもやり直しがきいて「失敗」という偶然性が生まれにくい制作環境。
自分が頭で思い描いた画面をデジタル技術で忠実にキレイに表現できるようになった代わりに、個性や面白みが消えていくのは本当に皮肉だなと思います。

岡本太郎はこんな言葉を残しています。

「ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、けっしてきれいではない。」

私はこの言葉が大好きです。
芸術とエンタメでは違うという人もいるかも知れませんが、人の胸を打つのはきっと「うつくしいもの」であることに違いはないと思います。





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