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「有害な男らしさ」が生んだ悲劇〜英国ロイヤル・オペラ・ハウス『リゴレット』

 英国ロイヤル・オペラ・ハウス(以下ROF)のシネマシーズン2021/22、4作目はヴェルディ中期の傑作『リゴレット』。5月20日から公開となるこの作品を試写会にて鑑賞した。本作はROHのオペラ芸術監督オリバー・ミアーズが就任後初めて演出を手がけたもの。指揮は音楽監督のアントニオ・パッパーノで、なんと彼がROHで『リゴレット』を指揮するのはこれが初めてだという。ちなみに、幕間にはパッパーノによるピアノを弾き歌いながらの解説があって、全曲解説を放映してくれたらそれだけでお金払ってもいい!と思わせる面白さだった。

※以下ネタバレを含みますので注意。






 ミアーズの演出、時代は現代に移されている。マントヴァ公爵はおそらくIT長者的な現代の成功者のイメージで、有り余る金を美術品の収集と夜な夜な開かれるパーティに費やしている感じ。第1幕第1場はその妖しい地下パーティの場面で、壁にはティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」の絵が大きく映し出されている(この絵が実は重要で、第2場のジルダのシーンに繋がっている)。リゴレットは古風な宮廷の道化の衣裳で登場するが、これは一種のコスプレだと解釈するのが妥当だろう。

(c) Ellie Kurttz.

 というのも第2場で、彼は普通のスーツにコート、帽子という出立で現れるからだ。また、パーティ会場にいる女性たちも、ロココ風のドレスなのにくるぶしが見えるほど丈が短かったりしてコスプレ感満載。そして重要なのは、この女性たちが、美術品と同じように公爵に「集められたモノ」なのだということ。それは、アリア「あれかこれか」を歌う公爵がグロテスクなほど性欲をダダ漏れさせていることからも明らかだ(アヴェティシャンのこの時のねっとりとした表現が最高、というか最低、というかw)。
 つまりここは、公爵を中心とした廷臣たちによる「ボーイズ・クラブ」なのだ。そう考えると、彼らが(リゴレットの愛人だと勘違いした)ジルダを嬉々として誘拐することも、ジルダを奪われたリゴレットの懇願を嘲笑することも合点がいく。女はすべからく「性的消費」の対象=「モノ」であり、そしてそんな「モノ」に感情を移した男はボーイズ・クラブのメンバーとしてはふさわしくないので徹底的に貶める。16世紀の貴族社会だからではない、現代のボーイズ・クラブ(を舞台にした物語)でもよくある話ではないか。廷臣たちの姿は、まさに「有害な男らしさ」そのものだ。そしてそれを嫌というほど感じさせるROH合唱団の歌と演技には唸らされた。さらに、娘(お腹の大きい姿の黙役として第1幕冒頭から舞台に登場している)を汚されたモンテローネが公爵によって目玉をくり抜かれる第1場のラストは、流行りのヤンキー漫画『東京リベンジャーズ』やヤクザをテーマにした映画『虎狼の血LEVEL2』を思い出してしまった(いうまでもなく、これらの作品でもイヤというほど「有害な男らしさ」が描かれる)。

(c) Ellie Kurttz.

 こうした環境の中で、もちろんリゴレットとて「有害な男らしさ」から自由ではいられない。彼がチェプラーノ伯爵やモンテローネを嘲笑うのはボーイズ・クラブから弾き飛ばされないためだし、「娘を傷物にされないように家に閉じ込めておく」という行為は、まさに女を「モノ」として扱う発想だ。私は常々、「もっとジルダを自由にさせてやってたらあんな公爵なんかに簡単に引っかからなかったのに」と思っていたが、「有害な男らしさ」に端を発するリゴレットの「毒親ぶり」こそが悲劇を生んだのだということに、改めて気づかされた。

 男たちにコレクションされ徹底的に消費されるだけの「モノ」である女たちの中で、マッダレーナだけは感情を持った「人間」として描かれているが、強烈だったのはそのマッダレーナがひどいアル中であることだ。ベッドしかない薄汚れた室内で、穴のあいたストッキングをはいたまま公爵とセックスするマッダレーナは、スパラフチーレに公爵の命乞いはしたけれど(そしてそれは成功したけれど)、結局男たちの支配する社会から逃れることはできない。せいぜい、男と肉体的に交わりながら酒に溺れるぐらいが関の山だ、というどうしようもない現実。このマッダレーナの描き方も非常に念が入っている。

 このように徹底的に男社会のリアルを描くことで、ジルダだけが孤高の存在であることが強調される。演出家はそれを「innocent 無垢」と呼んでいたが、その「無垢さ」はやがて汚されるべく運命づけられているという恐ろしさ。第1幕第2場で歌われるアリア「慕わしき御名」でリセット・オロペサが歌ったピアニッシモによる高音は、見事にジルダの「汚される運命にある無垢さ」を表現していた。
 しかしジルダの「無垢」は一旦は汚されるものの、結局最後まで本当の意味では破壊されなかったことは物語の結末が示している。彼女の愛の強さは実は「無垢」であるからこそ維持されたのであり、そうでなければなぜ彼女があれほど酷い公爵の身代わりになることができるだろうか。「有害な男らしさ」に侵された世界の中で、最後まで保たれ続けたジルダという女性の「無垢」と、それ故に引き起こされた悲劇。『リゴレット』は、大変によくできた物語であり、そして現代においても多くのことを示唆していると改めて思わされたプロダクションだった。

 最後に演奏について。オロペサは当代最高のジルダといってもいいのではないか。今まで聴いたことのあるジルダは、演奏技術が要求されるだけに妙に貫禄のあるソプラノが多くて、イメージが違うと思うことがあったのだが、オロペサは声だけでなくヴィジュアルも演技力も素晴らしい。ぜひ舞台で聴いてみたい。マントヴァ公爵を歌うリパリット・アヴェティシャンは輝かしい声のテノールで、安定感も抜群。最低最悪の「男らしさ」の権化でありながら、そのエロスが発散する魅力に抗しきれないところのある公爵という役柄を見事に演じ切った。タイトルロールのリゴレットを歌うのはカルロス・アルバレス。ジルダの命を奪うことになってしまった「親の愛」だが、それでも愛の強さを否定し難いと感じさせたのは、アルバレスの表現力のなせるわざだろう。常に影を背負っているリゴレット像にふさわしく、抑制の効いた部分と感情を爆発させる部分との対比が印象的だった。

 全国公開は5月20日(金)からTOHOシネマズ日本橋ほかで。ぜひその目と耳で、真に現代的な『リゴレット』を体験してほしい。

(c) Ellie Kurttz.

2022年4月28日。

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