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【Concert】西村悟テノール・リサイタル

 日本の若手テノールの中では最注目のひとり、西村悟のリサイタルは、東京オペラシティ・コンサートホールで、山田和樹指揮の日本フィルハーモニー交響楽団との共演というかたちで行われた。オペラ歌手のリサイタルというとピアノ伴奏であることが多いが、西村はあえてオケ伴奏に挑んだ。それは、このリサイタルが、彼が平成25年度の第24回五島記念文化賞オペラ新人賞を受賞し、イタリアのヴェローナで研修を積んだその成果発表会であるということに大きな理由がある。西村は以前行ったインタビューで、「声量が小さいという悩みを克服することがこの研修の課題のひとつだった」と語っていたが、オケ伴奏はまさにその課題を彼がどのように克服したのかを知らしめるのに必須の要素だったのだろう。また、同世代で大活躍中の指揮者、山田和樹の共演も、この難関に挑戦する大きな後押しになったにちがいない。

 プログラムは成果発表会らしくすべてオペラ・アリア、それもコンクールなど「ここぞ」という機会に歌ってきた「重要なレパートリー」で組まれた。結果、「最初から最後までクライマックス」と語っていたように、ひとつとして力をぬくことのできない重量級の名アリアばかりが並んだ。西村がいかにこの演奏会に情熱を傾けて臨んだのか、ということがひしひしと伝わってくる。

 しかし35歳、その「若さ」が良くも悪くも影響したことは書いておかなければならないだろう。おそらく彼は大きなプレッシャーと緊張に包まれていたのだと思う。初めて自分が企画しプロデュースするリサイタル、しかもスポンサーの名前を冠した成果発表会、緊張するなという方が無理だ。前半のドニゼッティの3曲は、その緊張がもろに出てしまい、残念ながら実力を発揮しきれなかったようだ。高音にハリのない箇所もあり、「もしや体調が悪いのでは?」と危惧したが、休憩を挟んで後半は見事にリカバリーを果たした。マスネの『ル・シッド』から「おお、裁きの主、父なる神よ」の暗く強い表現は彼の今後の可能性を大いに感じさせた。そしてチャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』からのレンスキーのアリア「青春は多く過ぎ去り」の繊細な抒情。個人的にはこの日いちばん聴かせた1曲だったと思う。ラスト2曲のプッチーニ(『ラ・ボエーム』の「冷たき手」と『トスカ』の「星は光りぬ」)は、彼が「声量」という課題を見事に克服したことを示した。これだけのプログラムを疲れを感じさせないフィナーレで締めくくることができたのは、逆に若さの勝利ともいえるのではないだろうか。

 指揮の山田和樹は、西村のパフォーマンスの調子を敏感に感じ取り、それにピタリと合わせてオケを操る見事なサポートぶり。そして、プログラムの中で演奏された『カルメン』の第3幕への間奏曲と『オネーギン』の「ポロネーズ」の、たった数分でオペラ全曲のドラマを感じさせる演奏には舌を巻いた。この人はもっとオペラを振るべき指揮者だと思う。

 アンコールに応えて舞台上に現れた西村と山田が固く抱き合うすがたは、実にすがすがしいものだった。お互いの音楽性や人間性まで含めて尊重しあい、共感しあうふたりの音楽家がそこにはいた。おそらくこの日集まった観客の多くが、これからも彼らを応援していこうと思ったに違いない。舞台上からオケのメンバーが去り、客席が明るくなってもなおひとり舞台に残って泣きながら最敬礼をする西村悟に、観客たちもまたずっと暖かい拍手を送り続けていたのである。この若者たちが次のオペラ界を引っ張っていくに違いない、という期待を抱かせるに十分な演奏会だったのは間違いない。

2017年10月11日、東京オペラシティコンサートホール。

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