紅薔薇

カルメン随想

実は『カルメン』は私がいちばん好きなオペラだ。昔、友人の間で「自分をオペラの登場人物に例えると誰か」という質問で盛り上がった時も、「カルメン!」と即答していた。そう、私はカルメンという女性が好きだったのだ。できるなら、彼女のようになりたいとさえ思っていた。誤解のないようにいっておくと、別に男を手玉にとって渡り歩きたかったわけではない(少しはあったか?笑)。私が憧れていたのは、彼女の意志の強さ。自分の好きなものは躊躇せず奪い取り、嫌なものはたとえ命を取られようともノーとはねつける、その「強さ」だ。

人が生きていく上で、いちばん大切なことは何か。少なくとも30代までの私にとってそれは、「自分のやりたいことをやる」ことだった。そのためには「やりたいこと」が何なのかを常に自覚している必要がある。カルメンという女性は、その点でズバ抜けていた。恋をしている時は仕事もそっちのけで没頭する。でも、どんな恋人も自分を縛ることはできない。気持ちが離れたらサッサと別れる。常に「自分のやりたいこと」が何かを分かっている。オペラのラストシーンで彼女は言う。「カルメンは自由に生まれて自由に死ぬのよ!」男に殺されるかもしれないという時でさえ、彼女は決して「自分のやりたいこと」以外はやらないのだ。何というあっぱれな女。

現実の世界の私たちは、いちばん重要なのは「やりたいことをやる」ことではなく、「やるべきことをやる」ことだ、と教えこまれている。「やりたいこと」だけをやる人間は「自分勝手」だと非難され、場合によっては学校や会社といった共同体からつまはじきにされる。いや、物語の中でさえ、カルメンはジプシー、すなわちどこの共同体にも属さない流浪の民としてつまはじきにされたアウトローである。しかも彼女はどうやら、そのアウトローの中でさえ、特別な存在であるらしい。男たちはみんな彼女の美しさに参っているし、そんな彼女を女たちは疎んだり憧れたり、とにかく周りの人々の間に波風を立てずにはいられない存在。

カルメンが教えてくれているのは、「強さ」は「孤独」と引き換えだという厳しい現実だ。「やるべきこと」が重視される社会で「やりたいこと」を突き通せば、周囲との軋轢は避けられない。カルメンを理想の女性に掲げ、「自分のやりたいこと」に邁進した私もまた、そのような軋轢を経験した。ひとりぼっちを引き受けることは、また「平穏」や「安定」を諦めることでもある。それでもよかった。何より大切なのは「自分のやりたいことをやる」ことなのだから。「私は自由に生きて、自由に死ぬのよ」と言える自信はなかったが、少なくとも「自分が選んだことに後悔はしない」と言いきることはできる、と思った。

オペラのカルメンはホセに刺されて死んでしまう。彼女は最後に笑っただろうか。たいていの舞台では、そこはわからない。ただ刺されて絶叫したのちに倒れるところで彼女の物語は終わる。一方、オペラの最後に言葉を発するのはホセの方だ。「俺を捕まえてくれ!彼女を殺したのはこの俺だ!」彼は泣いている。愛するものを自分の手で葬り去ったことへの後悔だろうか。自分の思い通りにならなかった悲しみなのだろうか。何にせよ、泣くホセは「自分のやりたいこと」をやり通せなかった人間である。もしカルメンが笑って死んだのだとしたら、その対比はよりいっそう鮮やかになるだろう。


この文章は、2017年2月5日、東京文化会館で行われた藤原歌劇団のオペラ『カルメン』を観た後で綴ったものである。公演の模様は、NHK-FM「オペラ・ファンタスティカ」で3月にご紹介する予定なので、あえて公演のレビューではなく「カルメン」という人物についての随想とした。


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