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軽井沢の紀伊国屋とPLAZA~懐かしい風景

秋を過ぎて初雪の便りが届く軽井沢ですが…まだこちらは夏の続きのようなお話し。

軽井沢は宣教師が作った避暑地、というのは使い古されたフレーズですが、だからこそあった沢山の「洋風」の文化がありました。

いつの頃からかあった紀伊国屋は今ほど多店舗展開ではなかったので、「シャレた」舶来品を扱うスーパーでちょっとわくわくするようなお買い物でした。
祖母と行くとどの家庭でも恐らくそうであるようにいつも買ってもらえないちょっと高級なお菓子やかわいいものを買ってもらえる場所でもありました。

その昔は旧軽銀座はもっと生活に密着したお店が沢山ありましたからお肉屋さんもお魚屋さんも八百屋さんもあったのです。お魚屋さんは私は見た記憶がないのですが、川魚専門店もあったという話も聞いたような・・

そうした場所にはないような輸入食品やちょっと高級なお肉などが紀伊国屋にはありました。
大きなマシュマロやちびマシュマロを買ってもらったこと、フラ印のポテトチップスを買ってもらったこと、まだ珍しかったピンク・グレープフルーツもここで買ってもらったような気がします。

なぜグレープフルーツの事を覚えているかといえば、朝食には半分に切ったグレープフルーツが並ぶのが常だったのです。今でも懐かしくなって行くと何日かは朝食に食べますが、それは半分に切ったものをホテルで出てくるように房から外したものでした。
そのための小さな両側にぎざぎざの刃がついた少し角度のついたナイフ(名称をそういえば知りません、あるのでしょうか? どなたがご存知だったら教えて下さい)があるので使いたくなるということもあります。

時々「お手伝い」で半分に切ったグレープフルーツを房から外すナイフで一生懸命外したことも懐かしく思い出しながら、自分のために今度はそのナイフを使っているわけです。

少し手間のかかる作業ではあって、確かぎざぎざの刃がついたスプーンも使ったことがあると思うのですが、あれはあまり上手に取れないのと食べる時にはあぶないので使わなくなりました。

話がすっかりそれてしまいましたが、祖父が洋行したこともあったからか祖父母との食事は比較的欧風だったのです。

朝食はパン、それもトーストにミルクティーと何となく決まっていました。もちろん軽井沢だとフランス・ベーカリーの「子供パン」を買うこともありましたが…。
紀伊国屋の山パン(イギリスパンという名前)は懐かしの味、今もそれほど当時と変わっていないように思います。

マーマレードも定番でそこに軽井沢の浅間ベリーのジャム、はちみつ、それにあきるとシナモントーストも定番でした。
今ではマーマレード、シナモン・トースト、はちみつが私は多いですけれど‥

父が軽井沢で売っているあらゆる浅間ベリージャムを買って、小林が一番美味しい!と言っていましたが、今もあるのでしょうか。来年探してみようかな、と思ったり。

母が子供の頃は友人達と浅間山に本当にベリー摘みに行ったそうですが、私は行ったことはありません。
北欧のベリー摘み、英国に居る友人のベリー摘みの話にまるで童話のよう、とあこがれるばかりです。

少し大きくなってからはPLAZAで紀伊国屋の買い物終わりを待つこともありました。

PLAZAが新しくなって外にデッキが付いてからはすっかりポテト好きになっていた私はそこでポテトフライを食べながら待って、買い物を終えた母と祖母と合流、ということもありました。(今はほとんどそのままお蕎麦の川上庵さんになっています)

新しくなる前は中庭のようなところに今でいうアウトレットになるのでしょうか、色々な面白い文具や雑貨がお手頃な値段になって売っていて、あれこれ面白がって買い求めました。
いまでも使っているもの、軽井沢の置きになっているものなどあります。

当時は今ほど化粧品があるお店ではなくて文具や雑貨、お菓子等が中心でした。近年アウトレットの中にPLAZAが「戻って」きましたが、昔とは銀座店も含めてだいぶ品ぞろえが変わりました。

そんな取り留めもない、昔を軽井沢に居ると思い出すことがあります。
次回は日本で初めてボタンダウンシャツを作ったと言われる元町ポピーの軽井沢店の事を書こうかな。



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