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バラード1番 ~ 一番孤独な風景

こちらは6年前の過去ブログからの転載です。

2017.6.13

ショパンのバラード1番は、故郷のワルシャワ(ポーランド)を旅立ち、パリに着いた少し後から作曲されました。
その作曲年から、20代の頃は「パリの頃の作品」と思っていましたが、
数年前、私がドイツを訪れた時、フランクフルトからスイスへ下るゆるやかで長い道中、
途中からアルプスの山々が見えてきました。
ショパンも、ワルシャワ~ウィーン~パリまでの道中シュトゥットガルトを経由していまして、
そこから見えた、きっと当時と同じであろう風景です。▷▷ 過去記事
この辺りで、ショパンはワルシャワ陥落、
=家族や友人が捕らえられ、亡くなったかもしれない知らせを受け取ったのです。


とても遠い視界の先に高くそびえる、岩のゴツゴツした、雪の光る山々、
思わず歓声があがるようなその美しい景色は、
ショパンにとっては一番不安で、一番孤独であった時の景色だったのだと気づきました。

その風景の周波数は、バラード1番の前奏の音の周波数と、
私の中でぴったりと重なったのでした。



ショパンは、今にも革命が起こりそうなワルシャワを離れる時、もうワルシャワには戻れないことは解っていました。
占領された国を復活させるためにワルシャワで闘う準備をする友人達を見放すようでもあり、逃げるようでもあり、また自分は死ぬために旅立つのではないかとも思い、
故郷を離れることはとても辛い決断でした。
でも、自分にできることは音楽しかなかったのです。

結果的に、その亡命のおかげで、ショパンは今でも世界的に知られています。
決断が大きくなるほど、たくさんの傷も伴い、周りの人の理解も、
大きな展望を持つ人にしか伝わらないのは世の常なもの。
でも、ショパンの家族や友人・先生は、皆ショパンの才能を理解し、ポーランドの夢を託し、
まだまだ若い、本当に花開くか解らない20歳の青年を送り出したのでした。



バラード1番は、
迷いや悲しみ、涙、怒り、平らで広い故郷の風景、
勇敢な仲間達、頭の中の力強く繁栄しているポーランド、
旋風の様に巻き返す国力と美しい大地、
そしてまた、現実の孤独と慟哭・絶望、
それらがそのまま音になっています。
(私にとって、心も風景も経験も音楽も、全て周波数であり、
これらは私が個人的に受け取る音からの感覚です。)

(追記* こちらの記事、ご感想・お問い合わせ頂きますが
全て、私のバラード1番への個人的なインスピレーションであり、
ショパンが実際何をこの曲に込めたのかは誰も定かではありません。
一般的には「ショパンはミツキェヴィチ(Mickiewicz)の詩にインスピレーションを受け作曲した」
事が有名であり、それ以上は想像の域でしかなく、
多くのピアニストは皆それぞれ違う解釈を持っています。
ぜひ「ショパンの手紙」を読まれ、「ご自身の実感」を見つけられて下さい(o^^o)
ショパンの軌跡にご興味のあられる方は、ショパン紀行のページもどうぞ。 )

時代も国も状況も違うけれど、
同じような経験をされた方は今も大勢いらっしゃる。
孤独を持たれたことのある方皆様に、ショパンをお届けしたいと思っています。

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