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こだわり圏内、圏外

東京の中でもファッション発信地といわれる街に、昭和な定食屋がある。
入口にはパリッとした暖簾が掛けられ、床は玉石の三和土(たたき)。ここが下町ならば、頭にタオルを巻いた作業員や、昼ビールを嗜むおじいさんグループがいそうな風情だ。

だが今、カウンターに座る私の隣では、モデルみたいに背が高くアヴァンギャルドな服を着た青年が、サバの味噌煮込み定食を食べている。
クールな居住まいからの想像を裏切る、すごい勢いでがっついている。

ものの10分で「お勘定」と席を立つ彼のお盆が、ふと目に入った。
思わず、二度見するほどの食べ散らかしっぷりだ。

サバは宇宙から隕石が落下した砂漠のように真ん中だけほじくられ、茶碗にはごはん粒がぼろぼろ残され、お盆にまでこぼれている。お味噌汁はどうやら汁だけちゅちゅっと吸ったらしく、具の豆腐やわかめが悲しそうに残されていた。

知人の料理家にマナー警察みたいな人がいて、誰かの箸の持ち方が違えば本人の要望がなくても母のように教え、魚の骨に身が残っていれば「もったいない!」と見本の食べ方を指南する。
彼女がここにいたら、この青年は逮捕だな、と思った。

しかし、私は知っている。
彼の革靴がピカピカだったことを。
まめに汚れを取って磨き上げ、シューキーパーで型崩れを防いでいるのだろう、手入れされた靴は喜んでいるようだった。

一方、ごはんのひと粒も残さず平らげた私の足下を見ると、ティッシュでちゃちゃっと拭いただけの靴は傷だらけのうえに艶も消え失せ、お洒落な街でじつに肩身が狭そうだ。
ごめんね、私の靴になったばかりに。

人はそれぞれ、こだわる場所が違う。
そして自分のこだわり圏内では鋭くアンテナを立てるくせに、圏外ではどうも自分に甘くなりがちなのだから、おもしろいものだなぁと思う。

ファミリーレストランで、肘をついて食べる子どもを「こら、行儀が悪いぞ」と叱ったお父さんが遠慮なしのゲップを連発していたり(お父さんには、肘が圏内でゲップは圏外なのだ)。

かつて「遅刻は他人の時間を奪うこと、時間泥棒」と厳しく教えてくれた先輩が、締め切り山積みの元部下に「最優先でお願い」と力技で頼み事をねじ込んできたり(先輩にとって時間と期日は別なのだろう)。

まったく滑稽なほど理不尽だけれど、不完全な私たちはそうしてやり取りしながら、自分にとっての圏外を気づき合っていくのかもしれない。

今は閉店したが、年配の女性たちの接客がじつに素敵だった餃子店がある。
体格のいい人お客には「ごはん多めによそいましょうか」などのひと言がするっと出てくる彼女たちなら、あの定食屋の青年にどう声をかけるだろう? と想像した。

「サバはここ(残した部分)が一番おいしいのよ」とか言って、次回から青年は、ネクストステージのサバの味を知ることができるだろうか。

見ず知らずの隣客にそんなこと言えない私は、もしもフードロスをテーマにした仕事がきたら、彼に届くよう念じながら書こう、と小さく決めた。

秋田魁新報 遠い風近い風 2024.3.9

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