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ウェイ・オブ・ライフ(16)

 七海のいる部署は他の部署とは違った時間が流れている。調査研究部すなわち証券アナリスト詰所。アナリストたちが机を並べて日々、調査研究をするところだから仕方がないとも思うのだが、今日もさくらが訪れると、ヘッドフォンをしてパソコンとにらめっこする人がいた。机中を書籍で積み上げ、話しかけてくれるなといわんばかりのバリケードを築く人もいる。七海もそれにならい、資料の山に小さなからだをうずめていた。
 

 さくらはここへ来るといつも同じ会社とは思えない空気を感じる。少々のあこがれと同時に、息苦しくなるのである。入り口にある座席表を頼りに七海の席を探し出し、背後に立った。それでも七海は気づかずに、書類を読むのに没頭している。
「お昼ですよお」
 声をかけるとビクンと肩を上げて七海が笑顔を向けた。七海と一緒にランチをするのはめずらしい。さくらは普段、部内の女性たちと食べるのが習慣だが、今日は七海を誘いたくなったのだ。
 本社ビル地下にある社員食堂へ下りるエレベーターの中では、今日発表になった人事異動の話題が、ぼそぼそと断片的に聞こえてくる。同じ社内といっても誰が乗っているかわからないこの密室では、下手なことは口にしないほうがいいに決まっている。それはさくらもよく知っている。
「無事に今日というよき日を。さくらもあたしもとりあえずセーフってところかな」
「異動、決まってたら事前に本人は知ってるでしょ」
「それがそうでもないんだよ。うちの部の後輩なんて、今朝呼びだされていきなり言い渡されて。アナリストになりたくてなったのに、一年で廃業とはね。かわいそう」
 

 ふたりにしか聞こえない音量で話していたつもりだったが、七海の「かわい・そう」という言葉に、エレベーター内の二、三人が振り向いた。誰だって異動について他人にかわいそうなどと言われたくはない。誰が見ても左遷と思われる人事も、本人を目の前にすれば「ご栄転おめでとうございます」と言わなければならないのが、暗黙の社内ルールだ。
 社食の入り口はすでに食事を終えて出てくる人のほうが多かった。時間を遅めにずらしたせいか、中はやや空いていた。時計の針はもう一時を回っている。学生食堂のように、トレーをぶら下げて好みの皿を取りにいく。

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