見出し画像

フードバンクで万引き?ボランティアの対応

こんにちは!先日、フードバンクでボランティアをしていた時のことでした。朝、ボランティアが集合すると、いつもそれとなくMTG的なことが行われます(円を組んでどーのこーのという感じでもないですが)。ボランティアが集まって、今日の連絡や引き継ぎ事項が説明される感じです。その時、フードバンク内で無断で商品を持ち帰る利用者が発生しているという話になったのでした。

実際は「万引き」とは定義できない持ち帰り行為

実際のところ、この行為は「万引き」とは言えません。何故なら、フードバンクで扱っている商品は日用品から食料、冷凍食品やパンなどに及びますが、正規の価格で販売している訳ではないからです。フードバンクに運ばれる商品は、スーパーなどのフードロスを防ぐために賞味期限ギリギリのものが運ばれてきていたり、時には賞味期限が切れているものも扱います。その他の商品は、スーパーからの寄付だったり、ご近所の方からの寄付、その他街中で行われている一般的な寄付金、自治体からの予算などで賄われています。

フードバンクの利用者は2つのカゴを渡され、

1つ目のかご(無料商品)
→パン、野菜、果物などの生鮮食品
2つ目のかご(支払い商品)
→無料商品以外のもの全て

支払い商品に関しては、市場価格の4分の1で販売されていることが多いので、一般的な小売店よりもたくさんの商品を購入することができます。

その「支払い商品」を「無料商品」のカゴの底の方に入れて、無断で持ち帰る人たちがいたということでした。

「何故そんなことをするんだ!」より「何故、そのようなことが起きるのか?」を考える雰囲気

まず、マネージャーからその話が出た時、ボランティアスタッフ(4名)に怒りはなく、"Dat is jammer…(それは残念ね)"という「残念」という言葉が出てきていました。そして、皆が「何故そういった行為に及んでしまうのか」「何故そのようなことが起きてしまうのか」という個人を責める発言ではなく、システムのあり方を問う発言を始めたのです。

「利用者にもっと話かけることで少しは防げると思う」
「無料商品も一旦、このテーブルに置いてもらうのはどう?」
「無料商品のカゴの中身を全部出してもらったら、それはそれでわかりやすいけれど、そこまでしなければいけない状況ってどうかしらね…」
「いちいち確認をしたら100%防げると思うけれど、やっぱり信頼する部分を残しておきたいわ」
「私たちとの関わりがない、コミュニケーションが薄れているとそういう行為に及んでも良いか…と思うんじゃないかしら」
「最初から疑ってかかるのはよくないし、そうしたくない」

というような発言が出たのでした。正直、「信じる力が強いな」と直感的に思いました。彼ら彼女たちには「信じるところからスタートしたい」という欲求が見えました。

もちろん、フードバンクは利益を出す場所ではないので、そういった考え方ができるのかもしれません。でも、「悪事を行ってしまう人たち」という意味では同じ部分もあると思います。

皆が利用者に積極的に話しかけるようになった

その連絡伝達があって、少し会話をした後、私たちは自然と利用者に今までよりもっと話しかけるようになっていました。

フードバンクに到着した時には「おはようございます〜!」とか「さぁ、中に入って!」と声をかける声も増えたし、買い物中の利用者に「調子はどうですか?」と声をかけることも増えました。木曜日は新しい利用者が登録に来る日ですが、その人たちにも「ようこそ〜!」と以前にも増して明るく出迎えるように心がけ始めていました。

同時に、ちょっと利用者の気持ちを引き締めるチェックも

一方で、無料商品に関してもこれまでは何も確認せずに袋詰めを許可していたのですが、今日からは一旦レジ前の台に置いてもらうことにもしました。…とは言っても、カゴの中身はちゃんと見えないし、実際のところ支払い商品が混じっていたとしても100%確認は取れません。

それでも「無料商品も一旦台に置くこと」を促すことは、利用者とのコミュニケーションとのコンビネーションによって、利用者の気持ちをちょっと引き締めるきっかけにはなるという考えです。

「100%は無理、でも無理な部分を"信じる"で賄う」

そういうスタンスでボランティア全員が合意できたことはとても気持ちがいいものでした。

改札のない鉄道、検札というコミュニケーション

今となっては随分と慣れてしまいましたが、ヨーロッパの国々の鉄道には改札がないところも多いです。適切な価格の切符を買ったかどうかは、乗客に委ねられていると言っても過言ではありません。誰もが無賃乗車ができる状況で「検札」という、一見非効率に見えるシステムを取り入れているヨーロッパの国は少なくありません。

でも、検札は人の良心に訴える、とても泥臭く人間らしいシステムなのかもしれません。「改札がなく、検札がある」…というのは、基本的に「性善説」を信じていなければ導入できません。

10回乗車して、10回検札に合わず、無賃乗車を繰り返すことは可能ですが、そういった人たちを取り締まることに加えて、もっと根本的な「何故、そのような行為に及んでしまうのか」を考えられる社会でなければ、無賃乗車を繰り返す人たちを本当の意味で救うことはできないのでしょう。

「まずは信じる」「まずは与える」

そういった意味で、私はオランダに来てからというもの、随分とこの社会が差し出す「信じる」という行為に救われてきたような気がします。もちろん全てのことにおいてそれが浸透しているとは言えませんが、誰かに信じてもらえた時に得た高揚感は、人間としての根本的な部分を支えることにつながっているような気がするのです。

移住当初、私と娘にたくさんの家具を無償で譲ってくれたおじさんが言いました。

「誰かに与えられた喜びは、次の誰かに渡してあげてね。社会はそうやって回っているんだよ」

どんな悪意にも、それが起きてしまう理由がある。まずは信じる。
その「信じる」という行為は、誰かを裏切らないための抑止力になるのだということを、ちゃんと信じようと思った日でした。

私たちの活動内容に賛同いただける方々からのサポートをお待ちしています。ご協力いただいたサポートは、インタビューさせていただいた方々へのお礼や、交通費等として使わせていただきます。よろしくお願いいたします!