千年の祈り_2

シネマの記憶005 小さな奇跡

 こんなにも起伏が少ないのに、これほどまでに愛おしい作品も珍しい。映画「千年の祈り」の舞台はアメリカの都市近郊。主要な登場人物は中国人の父と娘、イラン出身の老婦人、ロシア出身の男性、総勢たったの4名。まるで古き良き日本映画、あるいはセンスの良い短編の私小説映画を観ているようだ。

 荷物がベルトコンベアーに乗って流れている。どうやら空港らしい。父親が娘に会うために北京からやってきたのだ。機内で隣り合ったと覚しき女性二人と別れの挨拶を交わしている。このワンシーンだけで、彼のプロフィールの一端が垣間見える。なかなか粋な見せ方である。迎えにきた娘が、スーツケースを二つ、さっと迷わず取り上げる。赤いハンカチが目印になっていたようだ。これもまた、さりげない伏線。娘が運転して自宅へ向かう。アパートは娘一人で暮らすには十分すぎる広さの2LDKだ。

 父親が北京からやってきたのは、娘が離婚したことを気遣ってのことだ。落ち込んでいるのではなかろうか…、元気に暮らしているのだろうか…。表向きはアメリカ旅行のついでに寄ったというが、一人娘のことを案じてやって来たのだ。それかあらぬか、話題が核心に触ることはない。父親は、毎晩のように手料理を振る舞う。でも、娘から笑顔がこぼれることはない。細やかな気遣いは見せるものの、父親の話にも、うなづく程度。どうにも心は晴れないようだ。食卓には、ぎこちなさが漂ったままだ。

 娘は大学図書館に勤務している。そのあいだ父親は新聞を読んだり、食料品を買い出しに行ったり、近所を散歩したり。そのうちに公園でイラン出身の老婦人と出会う。かたや中国語とカタコトの英語、かたやペルシャ語とカタコトの英語なのだが、なんとなく心が通うようになる。お互いの身の上を感じ取り、毎日のように公園のベンチで会うようになる。なんとも味わい深いシーンである。

 ある日、娘の帰りが遅いのを心配して、バス停まで迎えに出る。でも、最終のバスにも娘の姿はなかった。父親の心配はいかほどか。

 その晩、父親が静かに問う。娘が重い口を開く。離婚の経緯を、ロシア人男性との関係を語り始める。そしてこんどは娘が父親の過去を問いつめる。その娘の言葉に、頭を垂れて、静かに耳を傾ける父親。

 翌朝、父親は、ゲストルームのベッドに座ったまま、壁を隔てたリビングで出かける準備をしている娘に聞こえるように、昨晩の娘の言葉に対する答えを、まるで独り言のように語り始める。

 父親シー氏:ヘンリー・オー、娘イーラン:フェイ・ユー、イラン出身の老婦人:ヴィダ・ガレマニ、ロシア人男性ボリス:パシャ・リチニコフ。監督:ウェイン・ワン、原作・脚本:イーユン・リー。役者たちも、スタッフも、全員が、ゆっくり、ふかぶかと呼吸しているのが感じられる。特別なことは、何もない。名作「スモーク」から12年目の、小さな奇蹟。(もちろん個人的な好みかもしれないけれど)間違いなく、2009年海外映画ベスト5に入るだろう。

(追記)
 俳優の香川照之、ウェイン・ワン監督、日本人プロデューサーの対談が、日経BPのサイトに載っている。ちょいと長いけど、興味のある人はどうぞ。「スモーク」から「千年の祈り」へ 香川照之がウェイン・ワン監督を直撃


*公開当時の予告編動画

画像出典:映画.COM


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