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緑の季節に

玄関先のガマズミの蕾が、日ごと大きくなっている。
向かいの松木さん宅のツタの葉もつやつやと
増えてきた。
氏神さんの高々としたケヤキも、気がつけばすっかり
緑を茂らせて、鶯の爽やかな鳴き声が
路地の空に響いている。
緑の季節を迎え、気分も清々するのだった。
休日、介護施設に入居している母を
お医者に連れて行き、定期検診を済ませたら、
その日の用事はおしまいとなる。
母を施設に送り届けたら、いつものように、
蕎麦屋の昼酒に出向いた。
善光寺の御開帳が始まって、黄金週間になり、
門前に参拝客が増えてきた。
界隈の蕎麦屋にも昼前から行列ができて、
ゆっくりの昼酒はなかなかきびしい。
ちょいと離れた権堂のかんだたへ、
期待を込めて伺えば、
幸い、カウンターに空きがあってほっとする。
生ビールでのどを潤して、蕎麦湯と蕗味噌を合いの手に、
亀の海の春酒なんぞを酌んでいれば、
ゆるゆると、気持ちがほぐれてくるのだった。
この4月で60歳になった。
子供の頃、還暦といえば、もう立派なおじいさんという
印象があった。
いざ、こうして迎えてみると、へろへろに酔っぱらって
記憶をなくしてばかりいて、とてもそんな歳になったと
思えない。
いいのかこんな還暦で・・・
いや、まったく良くないだろうと、
今さらながらに我が身がなさけない。
あんなことやこんなこと、なんでしちゃったのかなあ。
振り返れば、我が身を見失った事柄を、
何度も繰り返して、歳を重ねてしまった。
その時々に、身を案じて、
声をかけてくださったかたもいたのに、
耳を傾けず、
心配と迷惑をかけてしまったのは、
取り返しようのない、申しわけないことだった。
還暦といっても、貧乏だから死ぬまで
働かなくてはいけない。
悲しいことに貯金がないが、ありがたいことに
借金もない。中途半端な気持ちで求めていた、
かつてのような余計な欲もなくなった。
せいぜい蕎麦屋の昼酒や、馴染みの飲み屋の一献で、
静かにひととき過ごせれば、
それで十分、身の丈に合った幸せと感じている。
これからは、日々の屈託を減らして、
引き算よろしく風通しの良い気持ちで、
暮らしていきたいと思うのだった。
誕生日、遠く近くの親しいかたがたが、
温かな好意を届けてくださった。
ぐずぐずと、後悔多い人生の中、
今有る縁を思えば、
信じられないほど恵まれたことだった。
ありがたいことと、
つくずく胸に染み入ってくる。
余生はせめてもの気持ちを
尽くすよう、言い聞かせていることだった。

還暦や赤いTシャツ春行きて。












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