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day138 体内の滝行ミッション。

今日も今日とて、仕事前に自分のご機嫌取り。吉方取りの後に岩盤浴に出掛けた。

岩盤浴をすると、熱さで顕在意識が溶けるのか不思議と[上の存在]と繋がりやすくなる。
今日は、ぼぉっとしていたら、水を飲むことを命ぜられた。1日4リットルだと言う。最低限3日は続けろとのこと。

神さま的に、流れる水は龍神さま担当だ。滝なんかは龍神ともご縁の深い(というか龍神そのものの)瀬織津姫が祀られている。
水の流れは、穢れを祓い清める。世の中の罪穢れを海へと流す担当が瀬織津姫だ。

わたしの体内がどうやらケガレているようだ。ケガレは、穢れであり、気枯れ。
最近ちょっと気になっていたのだが、事務所の神棚の榊が片方だけ枯れちゃう案件が続いていたのだが、これもケガレが原因か。

水を飲むときは、祓い給え清め給えと祓詞を唱えながら飲むと良いらしい。しかも水は、岩手山神社の湧水。く、汲みに行かねば。

なんだか、滝行みたいだなぁと思う。いや、やったことはないけれど。
わたしの五臓六腑に滝行をするかのように水を流し続ける。そしてトイレでまたそれを流す。浄化だし、わたしの内側にこびりついたアレコレを洗い流す、クレンズだなぁと思う。


その後、屍のポーズを取りながら、本気で屍になってみるイメージングをしてみた。
砂浜にあった肉体は朽ち果て、鳥たちに弔ってもらい、次第に骨となり、砂の中に埋もれていく。
でも、魂はそこにずっといた。

砂浜をじっと見下ろしていた魂だけの存在(のわたし)は、ふと飛んでみたくて意識を空へと向けてみる。すると、驚くほどに高く舞い上がった。
肉体がない、ってこんなにも自由なんだ。
でも敢えて肉体がある存在を選んで、人間として生まれてきている。
借り物のボディスーツという制限がそこにあるからこそ、人生は楽しいのだ。

魂のお出掛けを少しだけ楽しんで、現実世界に戻る。
お風呂から上がって着替えているとき、他の人の話し声を聴きながらあることに気づいた。

わたしを、わたしだと証明できるのは他人の存在だけだし、証明する必要があるのは、そこに他人が存在するからだ。

わたしがこの世の中に、たったひとりしか存在していないのなら、わたしを証明することは不可能であり不必要で、名前もいらないし、言葉も、お金もいらないのだ。

誰か、という存在が、わたしを[わたし]たらしめている。誰かと識別するために名前をいただき、誰かに呼んでもらうためにそれを使う。
お金がたくさんあれば豊かなのではない。誰かと対価交換して、豊かさを得て初めて生きる。

人が完全に個にならないのは、人は必ず人から生まれてくるからだろう。それを連綿と繰り返して、人は誰かと関係性を築いて人間になる。

なんてちょっと哲学的にもなるけれど、大体のものって誰か自分以外の人がいるからこそ必要で、そのことに今一度立ち返って感謝してみるのも大切だな、と思った次第。

ちなみに体内の滝行は、わたしに向けてのメッセージで、他の人は別にやる必要はないので悪しからず。気になるならやってみるのも良いかもしれないけれど。

ご機嫌取りのおかげで、午後の仕事は捗った。急がば回れ、なのである。

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