見出し画像

自分が当事者になるなんて #1ADHDと生きる


「もしかしたらさ、なかさん、ADHDなんじゃないかな。」

上司からの突然の言葉に、私は大きく動揺した。

ここ数ヶ月、感じていた何かの「予感」というか、「違和感。」

むくむくと私の中で発酵してきたものが、

胸の中で爆発した。

昨年末くらいから、仕事でミスを重ねるようになった。

これまでミスをしたことがないようなことをミスしたり、とにかくうまくいかないことが増えていたのだ。

その理由は何だろう。

私は思い当たることを探し、虱潰しのように原因を無くそうと必死だった。

自己啓発書を読み漁り、動画を見た。

参考になる人の話を聞き、色々と試してみたりもした。

それでも、現状は変わらない。

「どうして? その通りにやっているはずなのに。」
「なんで、うまくいかないの?」

ミスを指摘されることや、指摘されるプレッシャーで、私の精神は限界に達した。

ある日の午後、度重なるミスを指摘された後のことだった。

何とか正気を保とうとしたけれど、昼食を口にした途端、涙が止まらなくなってしまったのだ。

「大丈夫、大丈夫。」
「私は平気だ。」

そう言いながら、涙は止まらない。
自分でも、何かが壊れて、おかしくなっていることくらいはわかった。

午後の仕事を終えて、医務室に駆け込んだ。

いつも私を母のように、姉のように見守ってくれているMさんが言った。

「なかさん、ダメだって。休まないと。」

ソファーに倒れ込んだ後、ぼんやりと周りの音が霞んでいった。

それからの記憶はない。

どれくらいウトウトしていたのだろうか。
目を覚ますと、一瞬自分がどこにいるのかがわからないくらいだった。

ノロノロと立ち上がり、周囲を見渡す。

誰もいない。

腫れ上がった目で、部屋に戻りたくはなかった。

でも、このままでいいのか?

腫れぼったい顔を鏡で確かめ、パンパンと両掌で叩く。

意を決して、上司の部屋のドアをノックした。

とにかく、休みたい。
いつも、死にたいと思ってしまう。いっそ、いなくなってしまいたい。

このことを伝えに行った。

具体的に何を言われたのかは覚えていない。
けれど、強烈に覚えているのは、冒頭の一言だった。

「あなただけのせいじゃない、あなたの持つ、特性が強く出ているせいだと思う。」

同じ当事者である上司は、ADHDの特性を誰よりも良く理解し、克服した人間なのだ。
どう見ても、私の言動は、その障害に起因するものが大きいと判断していたらしい。



数年前、私は特別支援教育の免許を取得した。

その時は、まさか自分の子どもが疾患を持つなんて思いもよらなかったし、自分自身がそうなるなんて、全く予想だにしていなかったのだ。

その後、自分の子どもが脊髄の疾患で病院にかかることになり、そのまた別の疾患で療育に私も付き添うことになった。

カウンセラーの先生と面談していく中で、
確信ではないけれど、
「私も同じ 発達障害なのではないか?」と感じることが多くなっていった。

50歳を過ぎ、中間管理職ではないけれど、人を動かすポジションについた時、
非常に困難を感じるようになってしまった。

今まで通りが通用しないのだ。

それに伴って、同じようなミスを繰り返すようになった。
覚えていられない、物の置いた場所を忘れる、紛失してしまう・・・

年齢のせいなのか?
コロナの後遺症のせいなのか?
はたまた、更年期ウツのせいなのか?

色々考えてみたけれど、改善させることはできなかった。

今まで
「努力すれば何とかなる。」
「勉強すれば、何とかなる。」
そうやってやってきたのに、そのどれもが上手くいかなくなってしまったのだ。

落ち込むだけ落ち込んで、
うつの症状が出始めた頃、私はようやく音を上げた。

行きたくなかったけれど、医者に診てもらうことにした。

思っていた以上に、状況は悪くなっていた。

確定診断や手帳の取得が目的ではないことを告げると、医師は私にこう告げた。

「なかさん、ほぼ、ADD, ADHDと言って間違い無いでしょう。」

人生折り返し以上の年になって、「初めて知ること」はそんなに多くない。

「自分」という存在も、何とか折り合いをつけながら 50年間付き合ってきたつもりだった。

でも、である。

人付き合い、落ち着きのなさ、気分の上がり下がり、何事も続かないこと。
よくものを無くすこと、何度も買い物に行ってしまうこと。

どれもこれも、私自身が困っていながらも、普通だと思ってきたことなのだ。

何とかなってきた、と思ってきたけれど、何とかなっていなかったのが現実。

「勉強さえすれば、何とかできるようになる。」
「頑張れば、できるようになる。」

このロジックだけを信じて、私は生きてきたのかもしれない。

できないことを恥じて、人に頼ることもできず、できるふうに誤魔化して生きてきた。

自分が自分ではない 自分に嘘をついている感覚が、ずっと付き纏った人生だった。

「どうもうまくいかない」
「人並みに、上手くできない。」

ずっと、自分のせいだと思っていた。

そう思うのが辛くなったら、誰かのせいにしてきた。

そうでないと、生きていられない。

いつ死んでもいい、と 心のどこかで思い続けてきたのは
自分じゃない自分で生きてきたから、本当の自分はとうに死んでいるからなんだ。

50年間、そんな思いを抱えて生きてきた。

このことに、ようやく気付いた。



私が、上司の部屋から、退室しようとした時、背後から声がした。

「軽々しく、仕事やめるって言うな。」

珍しく、強い口調で。

「・・・・はい。」

返事をした途端、涙が出た。

さっきの言葉が、

「軽々しく、死ぬって言うな。」

私には、そう言っているように思えたのだ。

親にも言われたことがない言葉だった。

私と向き合うことなく、あっけなく死んでしまった母。
本当の私と向き合おうとしてこなかった、父。

そんな親をも通り越して、
父のような言葉をくれた上司。

この時に感じた大きな優しさを私は決して忘れない。

「生き直すつもりで、新しくやり直す。そういう気持ちで、
仕事に臨んでみなさい。」

この言葉は、仕事への姿勢だけではなく、私の生き方にも言及していたのかもしれない。

ADHDの特性を持つ自分を認め、どうやって生きていくか。
ADHDと一口に言っても、それぞれ人によって違うのだ。

「私」という人間が、できることもできないことも、自分自身で受け止めて、
諦めずに「自分の人生」を生きることができるか。

上司の言葉がきっかけになって、
もう一度、人生を生き直そうと思えるようになった自分。

「発達障害」であることと、どう向き合えば良いのか。

何が正解なのか、どうすれば最適解なのか、まだ全然わからない。

けれど、自分を誤魔化して生きることは、もうやめようと思う。

わからないことを、わからないと言っていい。

できないことがあれば、助けてもらえばいい。

私にできることがあれば、遠慮せず助けてあげればいい。

完璧な自分じゃなくていい。
できない自分でもいい。
カッコつけなくても、いい。

そのままで、いいのだ。


#ADHD
#大人の発達障害
#生きにくさ




この記事が参加している募集

仕事について話そう

サポートありがとうございます。頂いたサポートは、地元の小さな本屋さんや、そこを応援する地元のお店をサポートするために、活用させていただきます!