思い出3- 熱い担任🆚無知で鈍感な小学生

今でも思い出す、小学校5、6年生。私はいろんな意味で鈍感な子供だった。中学校まで同級生にいじめられていただろうし、ばかにされていた。だって、あだ名が色が白いから「お化け」だったもの。でも、家で兄弟にもっとひどい扱いを受けていたので、学校のほうが相手にしてくれる人たちがいてくれて楽しかった。

そして私は宿題をしない子だった。家で宿題を見てくれる人はいなかった。自分で勉強するようになったのは中学3年からだと思う。小学校時代宿題をしないから、先生に怒られる。あたりまえのことである。当時はなぜか家で勉強ができなかった。友達に誘われて友達の家で勉強した時期もあったけど、本当に宿題を取り組めなかった。今となっては理由もわからない。ただただだらしない子だったのかもしれない。毎日先生に怒られた。

小学5,6年生の担任は熱かった。あの先生のおかげで今があると思う。小学校6年生、宿題をほぼやらない私は、毎日の帰りの会や、授業中に先生に怒られていた。そして毎日たたかれていた。ビンタは周2-5回、叩かれていたけど殴られてはいなかった。他から見ると殴られたように見えたかもしれないけど、私は怒られた、たたかれたしかない。そしてたたいているとき、先生はもいつも泣いていた。

自分一人だけが毎日怒られていたわけではないが、ほぼ毎日、私は怒られていた。小6の冬の記憶で、日誌を読み返す時があって、常に私の名前があったのを覚えている。同級生からしたら、同じ理由で毎日帰りが遅くなっていて余計に私が嫌になっただろうなと今ではわかる。ただ、先生が毎回私の頬や頭をたたいていて、たたかれてかわいそうと思っていたからか、同級生が私に直接何かするとか、何か言うとかいうことはなかった。だからクラスは嫌いではなかった。

今では体罰になるであろう思い出です。私にとってはいい思い出に分類されます。同級生からからかわれたり、相手にされなくても、先生は受け入れてくれて、本気で相手になってくれました。先生、ありがとうございました。

いじめ、体罰、ハラスメント。基準は受け手がどう取るかだと認識している。ただ具体的な基準がないと判断できないから、線引きができる。そういう世の中だと理解しているつもりです。たたくも殴るもまとめて暴力となってしまった世の中は、古い考えの私は悲しい思った次第です。