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読み聞かせ

教育格差について前の記事に触れたので子育てについてもう少し持論を残してみたいと思い続けます。

その前に文章をネットワーク上に残すということは、発言した内容に責任を持つわけで、もしかしたら(というかほぼ)自分が初めての発信者ではなく、どこかで見聞きした内容を自分の中でまとめなおしたものになっているわけです。ですから、こうやって残しているのも日記であって、今思っていることを整理しているだけなので、持論と言いながら誰かが言ったことの焼き直しばかりだと思います。

話はそれますが、そう思うと、自分が初の発信者として表現している小説家や作家ですごいなぁと思います。

話を戻して…。子育てをしていて自分は親として愛情表現ができず、自分勝手な親ですが、この子たちにできることとして幼少期”これだけは”と続けたことは 読み聞かせ です。

これは、子供を預けていた保育園の園長先生が常に言っていた言葉で、「毎日子供に読み聞かせをしてください」でした。本当にしつこく、常にこの言葉を言っていたので、初めての子育てで右も左もわからない私はこれだけはと思って小学校入学まで続けました。何が言いたいかというと、子供のために親を指導してくれた保育園の園長先生がいてくれたということです。また、近くに図書館もあったからお金をかけずに本に触れられる環境がありました。その結果と思いたいけど、子供達は活字嫌いにはならず、いてくれます。

近くに図書館があっても図書館にいかなければ本に触れることはできません。子供は一人で行けないので、親が連れて行くことになります。結局は子供の環境は親が作るものです。当たり前だけど。その環境の作り方が間違えた方向に行ったときそのことに気づくかどうか本当に大事かと思います。自分は正しいのかと言われたら、こう答えたいと思います。

子供の気持ちを無視したこともあります。自分のエゴを押し付けたと子供には言われるかもしれません。でも、常に社会に出た時に、自分で考えて行動できるよう考え子育てしてきました。その基礎は小学校まで毎日欠かさず行った読み聞かせから始まった読書の習慣だと思います。この読み聞かせだけは間違っていないと思います。

余談ですが、予算の関係もあるけど、田舎の学校には司書さんがいません。東京では、司書さんがいて、週1回図書館で過ごす授業があり、図書館に本を借りに行くと司書さんがそれぞれの子供の好みにあった本を教えてくれたのです。残念なことです。