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平等な世界

あなたは、肩書きがある人をどんな風に受け取りますか?

すごい事を成し遂げた人
大金持ちの社長さんや、なにかの偉人、世界を変えるような発明をした人、有名人
そんな人を前にしたらあなたは、どんな対応になりますか?


私は、ほんの少し前まで、、
いや、気づいていないだけでもしかして今もあるのかもしれません。

すごい人に憧れていました。
そんな人になりたいと思っていました。


だからそんな人を前にした私は、
その人は私よりも、もっともっとすごい人。
高い高い位置にいる人と感じてました。

でもそれは必然的に私は、
その人よりも、もっともっと下の人となるんです。
私は、低い低い位置にいる人。


そう人を判断する事で、
自分を無意識に否定していたことにも気づいていませんでした。


接する時に、ついついその人の肩書きの『凄い』だけがクローズアップされる。

でもその『凄い』部分は本質の一部であり、
凄い=本質  ではありません。


それぞれ目標の高さ、志し、
人それぞれの道があり
人それぞれの想いがある

どういうルートを辿ろうとも
どういう到着地点にたどり着こうとも

その凄いと思っていた人も、劣っていると思い込んでいた私も、
同じように時には、悩み、時には苦しみ、そして楽しみ、笑う。


ただその違いだけなのに



私は、なにを比べて秀でている、劣っていると観ていたのでしょう?

なぜ私は自身を劣っているとし、その人になろうとしてたのでしょう?


目標や志が高い方が凄い。

私はその人よりも、目標や志しが低い。
だから劣っている

そう思っていたのかもしれません。


目標や、志し、道や、想い。
それらを自分に当てはめようとしても
そのようになりたいと切に願っても

その人は自分じゃない
自分は自分でしかない


それぞれ生き方はあって、それぞれ価値観がある

目標や志しが高く、生きていきたいと想う人もいれば
目標や志しとかそういったことに囚われないで、その時を楽しんで生きたいと想う人もいる


だから、
凄い人も劣っている人も、この世にいるはずがなく

みんな平等で、みんなそれぞれを生きている。

ただ、それだけ。


ただ、自分のその道を自分自身で確信を持ち歩んでいく。

ただ、それだけでいい。


そうすれば、
誰が上とか、誰が下とか
誰が秀でてるとか、誰が劣っているとか

そんなの存在しなくなる。



ただ、その人の
志しや、目標、道や、想い。
それらを、素敵だと想うこと。
その本質を素敵だと想うこと。


そしてそんな素敵だなと想う、その人と交わりたいと想う。

ただ、それだけなのだ。


だから、凄いとこに辿り着いた人。
という肩書きだけをみて交わるのは、とってもとってもちっぽけなこと。

凄いところにたどり着いた人。という目だけでその人を観ていたら、そこには不平等な世界が繰り広げられてしまう。 



自分自身が平等な世界を創り出せば
そこはたちまち、平等な世界が広がる


それから本質的な、心の通った交友関係が広がっていくのではないのだろうか。

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