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『期待する』方向性

『期待する』

ということは

『ください。』


ということ

例えば、
私はあなたに与えました。
だから、ください。


相手からのの褒め言葉
相手からの見返り
相手からの愛


期待する。
それら、与えたからください。



例えば、
私は愛してる
あなたも私のこと愛してるでしょ?
くれるのは当然でしょ?

だからください。


そのスタンスがいつのにか
もらいたい自分自身を苦しめる。


もらうのが当たり前。
やってもらうのが当たり前。


それは
やってもらわないと、与えてもらわないと
『当たり前なこと、なんで出来ないの??』
と、腹が立つ。

でも、与えるか与えないか
やるかやらないかは、相手の自由であって
“ワタシ”自身が、矯正させることはできない。


こちらから、
相手がやった方がいいんじゃないか
と思うこと。そう思うこと色々あると思うけど、
それをやるもやらないも相手の自由。

その人の意見や、想い、タイミングがあって
それをどうするか決定するのは、その人の自由。
それを、こちらがやった方がいい!と決めつけけアドバイスしたこと。
その通りすることを期待して、やってないことに腹を立てることもあるでしょう。


だけど、生きていて
人に期待する
ということは、わたし自身もついついやってしまいがち。


でもそれは
その双方の関係をギクシャクしてしまいがち。


人に期待する
それは苦しさを生む。


だから、ただ
自分自身の
『そう思った』『人を想えた』
『そこで人のために動けた』
こと。
そんな自分自身を、その行動や、想いに
心いっぱい、自分自身を褒めて
自分自身が誇り高くあればいい。

ただ与えることができた。
その事実を自分で褒める。


『自分に期待する』


相手からもらおうとする行為は
なんとなく相手にも伝わるもの。

ください。
というスタンス。


それが相手を苦しめる。


私も昔そういった雰囲気を
なんとなく受け取っていたのか


相手の『ください』のスタンスも察知し
だから、与える。
そんなことをしていた時
その当時はとてもわからなかったが、
今思えば、とても苦しかった。


だって、私の湧き出る意志ではないから。

私から出てくる、与えたい。
ではなく、
あなたが欲しがるから、だから
与える。


そんなことをしている時、


私は、今思えば自己否定ばかりだった。
自分を好きになれなかった。


そしてきっと、
そんな時の『与えた』行為は
きっと与えられた相手をも苦しめている。

なぜなら、
相手から奪い取ったものだから。


相手からの純粋の
『与えたい』ではなく
『与えなきゃ』だから
その与えなきゃの後には
『だってあなた欲しがるでしょ?』
というメッセージが込められている。


そんな行為を、どこか純粋には喜べない。


ただ、与えたい。
そういった、お互いの気持ちがあってこそ
双方の関係が育つ。


期待する


私自身もまだまだ未熟で、人に期待してしまうことたくさんあるけど、


そこで、
『いかん、いかん』
そうやって自分と相手とのスタンスに気づき

期待する方向性を自分に向ける。
そうやっていけば、少しづつ出来る様になっていくのではないかなって思う。


そうやっていくこと
きっとそんなことが出来るようになっていく自分を、今よりもっともっと好きになる。


そんなまだ観ぬ景色を夢見て。


日々精進だ。

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