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61.誰かに貼られた“らしさ”はいらない。

今年は参加者として関わることができた、18祭。参加決定から本番まで、その後放送を迎えるまでを日記より抜粋。

8月下旬
合格のメールを見たときは嬉しさ半分、ドキドキ半分。リモートになってしまったあいみょん18祭から約1年半、ようやく参加者としてあの場に立てるんだね。YOASOBIなのも嬉しい。去年のメンバーに同じ立場で会えないのはさみしいけど今年は思いっきり楽しんで来年パワーアップして帰るぞ!


10月上旬
楽譜公開、やっと練習開始。忙しい週だからやばいかも。


10月中旬
練習会、楽しかった!ちゃんとみんなに会えるの最高。目標発表は正直もっと引かれると思った。誰も知らないんじゃないかって怖かった。でもみんなのおぉ〜ってリアクションみて、本当に叶えたいと改めて思えた。そしてこれから仲良くしたい子にも会えた。これからも長い付き合いになりますように。

そして初めておそらくてんかん(?)を持っている子にあった。本人に聞いたわけじゃないから推測だけど。症状の名前は知ってたけど対処方法、なんにも知らなかった。もっとできることあったはずなのになぁ。いつか誰かを助けられるようにちゃんと知っておかなきゃ。


10月下旬
〇〇企画のごはん会へ!実習からの1dayボランティア、ごはん会へはしごで体力的に不安だったけど楽しめた!仲良くなった子達みんなに再会できてよかった。


11月中旬
自主企画の練習会があったけれど体調がすごく悪かったから行けなかった。でも、行かなくてよかったと思う。写真を見たときTwitterやグループLINEで見かけた苦手そうだなと思ってた人たちがたくさんいたから頑張っていったとしてもしんどい思いをしていたかも。でも会ってたら印象違ったのかな。まあ今日は家から出なくてよかったと思うことにする。


本番まであと7日
Twitterで会場でみんなに配るものを作っている人を見かけた。カードとかステッカーとかみんな作ってるっぽい。イラストは苦手だしメッセージカードは作ってる時間正直ないなぁと思ったから最近マイブームのシーリングスタンプ配ることにした。でもワックスとかラッピングとか買うとこからか、迷う。てか何個作ればいいんだ?


本番まであと3日
なんでシーリングスタンプ配ろうとしたんだよ、過去の私。とても大変。とりあえず100個って思ったけれどワックスが溶けるのにも時間かかるし一気にたくさん作れるわけでもないし。私にしては珍しい夜ふかしが続いている。眠い。ラッピングが終わらない。


リハ当日
プレゼントのラッピングが終わらないからグリーン車に課金した。初グリーン車、新幹線じゃなくても車内販売があることを初めて知った。買わなかったけど。上にSuicaをタッチするって知らなくて困ってたら近くに座っていたマダムが助けてくれた。優しさに感謝。無事全部の作業を終わらせられたのでグリーン車にして正解だった。前日に〇〇がごはんに行こうと誘ってくれたからそこへ合流。駅から一緒に行こうとしていた別の子もいたんだけど、その子は昼ごはんを食べないと言ったから昼ごはん仲間できてよかった。初めましての人も含む何人かと合流して腹ごしらえ。みんなそれぞれ寄せ書きのノートを持っていたり名刺のようなものを持っていたりしていたのでやっぱり頑張って作ってよかった。

駅から一緒に行こうとしてた子と少しだけ会い、その後練習会で仲よくなった別の子と合流して会場へ。練習会で会った今年の仲間とも合流できて、去年の仲間たちとの再会もあった。みんな去年悔しがっていた私を知っているから私の参加をとても喜んでくれた。余裕を持って会場に着いたはずなのに、あっという間に受付の時間に。近くに並んでいた子たちとお話しつつ列に並んだ。大人っぽいから同い年かなと思っていた2人組の子達はなんと高校生だった。垢抜けててすごい。話していた4人組のうち私は最年長とわかってびっくりした。去年はどこにいっても最年少だったのに。そこから会場内へ移動。去年とは違い[Alexandros]の回までと同じ半楕円のセットを目の当たりにして心が震えた。やっとここに立てる。そして私は運良くかなり前の方の段に立てることがそこで初めてわかった。背が小さいから位置取りは重要。なんやかんやしてるうちにリハ開始の時間となった。

リハ1発目の、初めて1000人の歌声が響いたあの瞬間を私は一生忘れないと思う。まだ始まったばかりなのに私は号泣していた。その後も照明が入った状態でも歌い、この曲のアレンジの方から指導を受けるたびに上がっていくクオリティ、回数を重ねるごとに会場のVIBESが上がっていくのが手に取るようにわかる。会場での立ち位置が近い子たちと記念パネルの前で写真を撮った後、明日の本番に思いを馳せつつその日は会場を出た。夜ごはんのことを何も考えてなかった私はふらふらしていたところ、会場に一緒に向かった子が声をかけてくれた。彼女のおかげで何人かのグループでごはんを食べることに。ほんとにありがとう。

彼女とは10月の練習会で初めて出会った。ダッフィーみたいでかわいい、年下の彼女。彼女とは共通点が多くてすぐに打ち解けることができた。練習会の後のごはん会で再会、仲良くなりすぎて電話までしちゃった。本当にかわいい、妹みたい。短い期間でぎゅっと距離が縮まった彼女とそこまできちんと自分の生い立ちを話したことはなかった。どんな文脈でそんな話になったのかは覚えてないけれどごはんのお店の順番が呼ばれるまでお互いの高校時代のことが話題になった。このときなんとなく初めて会ったときに感じたシンパシーの正体を知ることになる。彼女の高校時代と私の高校時代には似た経験があった。お互い悩み苦労した日々があるからこそ見えているものや感じているものが似ていた。だから私は彼女に心を開けたんだと思う。そんな話をしていたら最初は私から彼女への気持ちがとても大きくてアンバランスだったのに彼女も私にたくさん気持ちを伝えてくれて彼女から見えている景色を共有してくれるようになった。嬉しい。

そんな彼女と同じテーブルに座ることができた。途中で他のグループと合流しメンバーは知ってる人も知らない人もごっちゃ混ぜの状態に。そしたら話していくうちに前に座っていた彼と高校が同じことが判明。彼は私の出身高校にある高校の部活としては珍しい部活に所属していたようだったので、まさか?と思って聞いたら同じだった。しばらく地元トークや共通の知り合いの話で盛り上がり、なぜか彼とのツーショまである。全国から集まって世界は広いと思う人が多いであろうこの場所で、まさか世間の狭さを学ぶことになるとは思ってもいなかった。胸の高鳴りは収まりそうになかったけれど、睡眠不足で明日倒れたら後悔してもしきれないからとホテルではすぐに休むようにした。なかなか寝付けなかった。


本番当日
当日、朝1人で起きるのは苦手な私が自力で起きることができた。チェックアウトの時間を迎え、集合時間より早めに会場に向かうと会場付近にはたくさんの仲間たちがいた。たくさんの人に声をかけて、かけてもらって。作ったシーリングスタンプは全部誰かの手に渡っていった。多くの人に喜んでもらえたから、頑張った甲斐があったと思う。当日もリハでの変更の確認やサウンドチェック、照明チェックを終えてあっという間にYOASOBIとバンドメンバーを交えてのリハに。この最後のリハが1番泣いた。彼ら6人が入ってきた瞬間から会場を出ていく瞬間まで泣いてた。この日のために生きてたんじゃないかって本気で思えるくらい泣いた。やっぱり私は合唱が好きなんだなだって改めて思った。みんなで同じ方を向いて歌にぶつけられるから。中学生のときの私にどうか合唱を嫌いにならないでって伝えたい。

本番が始まってからは無我夢中だった。しっかり記憶に残っているのに言葉にはできない何かがあった。誰かに届けたくて、私の存在を証明をしたくて、もう何からも逃げたくなくて、必死だった。血が激った。腹の底から声が出た。私の中から湧き上がる思いの強さに私自身びっくりした。冷静を取り戻して周りを見渡せば同じよう顔をした仲間がたくさんいた。みんなの心音が、聞こえた。間違いなく1000人がひとつだったし、間違いなく日本で1番アツかった。いつかみるだろう走馬灯にもこの景色が、記憶があってくれと柄にもなく願った。隣の人と手を繋いで、顔を見合わせて、リズムに乗って。こんな経験をここ以外ですることなんてきっとない。

おなじみの顔ぶれに再会できて、来年以降も一緒に活動できるだろうバディにも会えて、練習会からの仲の子も、初めましての子にも会えた。そんな中で5年越しの伏線回収もあって、あいみょん18祭からの友だちも、BUMP18祭からの友だちも、いつも大学で一緒にいる友だちも、これからずっとそばにいたい子にも会えて。たった1人友だちと呼べる人に出会いたくて声をかけ続けた18祭。いつしか周りには友だちと呼びたい仲間がたくさんいて、ずっと一緒にいたいと心から思える出会いがあった。幸せなことだと思う。

去年抱えていた気持ちに、悔しさがないと言ったら嘘だった。それは嫉妬と呼ばれる感情とは違ったけれど、やっぱり悔しかった。きっと先輩たちはまだまだ子どもで隠しきれない私の気持ちに気づいてたんだろうなって思う。だからこそ今年参加者でよかったねってたくさん声掛けてくれたんだ、きっと。リモート回も、対面の回も経験できた私はこれから強くなれると思う。やっと胸を張って戻れるよ。この18祭という場所は、年齢も肩書も性別も気にしなくていいところ。これは去年先輩たちから学んだことで、このマインドを貫いてたくさんの人と接してた。私と話したみんながどう感じたかなんて確かめる術はないけれど、行動で示せていたらいいなって思う。これを後の代にも広められるように、私はこれからも居続けたい。

そして私にとってこの18祭は通過点でしかないから。いつか私の夢の果てで、みんなが私と18祭同期であることを周りに自慢したくなっちゃうような人になる未来を夢見て。現実にするために走り続けたいと思う。


12月上旬
地方の18祭関連の収録へ。久々に会える子も何人か、でもほとんどが初めて会う子って感じだった。学年もバラバラでグループではまさかの最年長。うまくまとめたり引っ張ったりする力があればよかったんだけど、なかなかそうもいかなくてちょっと申し訳なかった。記念ボードももらったメッセージも撮った動画も全部宝物。グループのみんなで近くのフードコートまで移動してごはん食べたのも、最後地方へ帰る友達と合流できたのもいい思い出。


12月中旬
放送を1週間後に控えたこの日、前にごはん会した仲間たちと再び会うことになった。嬉しすぎてお店を選ぶのが楽しくて仕方なかった。初めてごはんに行く子も、もう顔馴染みの子もいて話に花を咲かせつつ楽しんだピザビュッフェ。その後各々の終電まで広場で話したのも楽しかった。私の終電が1番早くてみんなに見送られる形で帰ることになってしまったのだけ、残念だった。


12/25
放送日当日。カウントダウンの企画があったのにSNSを毎日動かすのが苦手すぎて断念。でも高校の知り合いに見てねって声かけたり、バイト先の塾で生徒にも先生にもたくさん広めたり、自分なりに宣伝してた。アナログだけど。放送は母と観た。知っている子たちやたくさんお話しした子たちが映るたび誇らしい気持ちになる。私自身が映ってるかなんてもはやどうでもよかった。最終的に歌ってる最中に少し映っているのを観て母も大興奮だった。ついに私たちの手を離れて、世界へ羽ばたいていった"HEART BEAT"。原作として私たち1000人の応募動画も公開されている。私の作品もその中に並んでいることこそが、私が今回のYOASOBI18祭に参加した証だなって感じがして嬉しい。たくさんの人に届きますように。

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