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flesh and blood : fabを愛し続ける

TCGなんて、たいていの人にとっては趣味の範疇なのはまちがいないところ。人によってはTCG以外の趣味もあるひとや、TCGでも複数かけもちのひととか、取り組み方には様々あるだろう。そんな趣味とのかかわりかたに関する記事。TCGは勝敗のあるものではあるが、ほかの趣味にもおいても参考にできるところはありそう。

記事としてでたのはだいぶ前だが、fabに限らずTCGをやっていると思うこともあるような内容。

KEEPING FAB LOVE ALIVE
by Isaac Jessen
4th April 2022

ゲームが成長し続けると、競技レベルの非常に高いゴールには到達するのがより難しくなる。多くのプレイヤーがそのことに気づいている。

プレイヤーの基盤が広くなって、平均的な経験レベルが増大するにつれ、大きなイベントでは、よりいい位置についたり勝利したりすることさえもいっそうむずかしくなる。多くのプレイヤーは、かなりの量の時間をそのゲームの準備に投じても、それを大きなトーナメントでの勝利にむすびつけることはできない。

仕事・家庭・他の趣味などfabの他にやるべきことのある人にとっては、競技的なfabにおけるゴールは気の遠くなるようなタスクを達成しないと到達できないものに思えるだろう。高いレベルの競技的な成功にむかって努力すれば、多くの素晴らしいことがみつかるけれども、うまくいかなかったときに、ポジティブな態度を維持するためのアドバイスはなかなかあるものではない。

失敗を分析して受け入れることは、あまり知られていないスキルだ。自分も、得られた成功にはすべてそれに見合った努力をしてきたし、これは人生の他の部分と同様である。成功が得られることで、ゲームの体験はもっと楽しいものになる。自分が愛してやまないこのゲームと健康的な関係を維持するために不可欠ないくつかのやりかたをみつけたのでシェアしたい。

大小にかかわらず試合に出たときに、うまくいかなかったときは、立ち止まって内省することだ。それは、直近のストレスのたまること(注 おそらく敗北したという事実)に集中するよりはよいことで、自分が現実に経験したことについて考えることで、将来なにかできることをみつけられるかもしれない。具体的には、以下のようなこと。

自分自身に現実にみあわない期待をしたのではないか?
準備が足りていたのか不足だったのか?
 自分(や自分のデッキ、戦略など)に欠点があるにもかかわらず、
    自分にとって運よくまわると楽観していたのか?
自分のデッキはその日のメタで実際にいい位置にあったのか?
 自分にとってよくないマッチアップがおこらないことに期待しただけか?
プレイミスをしたのか?
 ちょっとだけ運がわるかったのか?
 客観的に期待できた結果をそのとおり得たのか?

fabとの、特に大きな大会との付き合い方として、それぞれのメタに応じて使うデッキを変えていくスタイルや、ずっと同じヒーローを使い続けるなど、プレイヤーそれぞれのやりかたがある。自分は、決まったヒーローを使い込んでいく道を選んだものとして、どうやっても勝てないメタがあることもわかっている。

逆にStarvoを組んで、明日の大会にでて勝てるか、というと疑問ではある(注 記事のでたときのトップメタだったと思われる)。それは、以前からGuardianを使い込んでいる人で、メタの流れに応じてStarvoをもってきたひとのほうが強いに決まっているから。ただし、自分自身に正直であることは、妄想と失望の悪循環よりはよいアプローチなのは確かだ。

つまりは結局、「ひどく負けてしまったあとの感情から距離をとること」を忘れないこと。

もし、成功が大きいものでも小さいものでも、すべてが感謝に値するものだと理解できれば、ゲームをプレイするのによりよい状況にいるとことになる。

自分をよりよくパフォーマンスできるように常に追い込むのなら、一定の割合で失敗と出会うことになる(注 ずっと成功し続ける、ということはないから、ということと思われる)。成長することにおいては大きなブレイクスルーや巨大な跳躍はまれで、苦痛をともなう長い敗北の期間のあとにだけそれはやってくる。

失敗や敗北はとてもがっかりするようなことになりえる。小さな成功やゆっくりとした進歩を賞賛することを学ぶことで、失敗や敗北に出会ったときの気持ちにたちむかうことができる。そして、不可能にみえる状況において、すこしでも効果的なプレイラインを見つけ出したときにおこるのが満足感であり、みんなに共通の感覚~ドパミンの放出がおきる。

自分がミスをした場合も、それはいつも付加価値の高い学びの経験である。新しいプレイラインを見つけた試合と同様の価値だ。あらかじめ考えていったプレイラインをこころみて、それがちょっと適切ではなかったとわかった試合でさえすばらしい価値がある。プレイヤーとして学び進化するどんな瞬間でも、なにも学びのない勝利よりも無限の価値をもっている。

我々をひっぱっているのは成功なので、自分自身がそれに感謝できるようにすることが重要だ。

運の要素ももちろんある。自らのエゴが、すべての敗北を運の残酷なわるさのせいだと決めつけてくるのをなだめるのは難しい。けれども、一日のすべての過程を通して、そこから学ぶべきもっと生産的な瞬間に集中することのほうがより確かな結果を生む。不運なことは起きず、しかもプレイミスをしなかったとしても、絶対に勝てるわけではない。敗北にむかう道のりを多少変化させるだけだ。そして、自分が運がわるかったと口にすることで、対戦相手の勝利を、そして彼らがしたよいゲームの価値やよろこびを大幅に損なってしまうのできをつけよう。

ゲームの中にある大きな変動幅はTCGには内在しているもので、たいていはよいことだ。変動があることでものごとは面白さを維持する。しかし、ときに誰でもすこしだけ不運な状況になる。

Starvoといっしょでたいへんなことに・・・
詳しくはカードテキストを読み比べてください

自分の不運についてくよくよ考えたり、よくない結末について自分を責めたり、そんなふうにしないこともまた大切だ。すばらしいプレイは、ゲーム内の変動の大部分を凌駕できるものだ。そして、どうやってそのプレイにたどりついたのかに集中することが、そこまで費やしてきたエネルギーに対してもっとふさわしいことだ。

みんな、趣味は楽しむべきだ。
覚えておくべきは、我々は自分の態度やくせを自分で作り上げる、ということだ。ある習性をもとに考えたりふるまったりすればするほど、その習性はより強化されるのだ。意識的に自分たちの感じることを選ぶということは簡単ではない。が、趣味のなかでみつけるであろう楽しみを予期するには最善のことだ。対戦相手のペースで進んでいるときに、いつでも対戦相手に対して反射的にいらだったり憤慨したりしていると、その悪い癖が強化され、自分にとってより残念な経験をつくりだすことになる。対して、自分をしっかりもって、相手を讃える気持ちとともに、大なり小なり自分の成功から学ぼうとしていれば、より楽しめるゲームへ導かれるだろう。

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Rathe Timesに記事を書くプレイヤーさんたちは、時々こういう記事を書いてくるのですばらしいと思っている。

この記事を書いたRanger使いのIssacも、メタを見誤ったり、現実を無視してしまったりして、よい結果にむすびつかなかった体験談を述べている。プロでさえそうなのなら、そうでない我々の多くはどうかといえば想像にはかたくないだろう。

要約の最後のところは、神か仏か、という態度だが、すばらしいのでほぼほぼ全部載せてしまった。

失敗や、思った通りにならないことがあっても、いちいち落ち込まず、失敗から得られるものを吸収し、すこしでもうまくいくことがあればそれに感謝して喜んで、地道に前進する、ということなのかなと思った。

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